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時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第21話「万国公法をエサにして」

齊藤一が菊屋の二階に上がると、やはり毛内有之助がいた。

「齊藤さん、見ていましたよ。中岡慎太郎が近江屋に逃げ込んだのですね。よりによって、近江屋を選ばなくても良いのに」

「毛内さん、ご苦労様。見ての通りだ。厄介なことになった。ところで何かありました」

「伊東甲子太郎さんからの伝言ですが、情勢が変わってきているそうです。土佐薩摩とは深入りせず、距離を置くそうです。そして早々に、御陵衛士を解散し新選組と合流すると申されています。ただし、坂本龍馬の警護に関しては、今まで以上に強化して下さいとのことです」

「坂本龍馬の警護の強化に関しては、新選組本隊も考えが一緒だ。ただ、大石鍬次郎隊を支援してやってくれとの要請だ」

「そうですか。しかし、困りましたね。偶然だけど、白黒の石が一緒の館に入ってしまいましたね。まずは、二人を引き離さないといけませんね」

「やっぱり、中岡があの中にいるのはまずいな。何とか引っ張り出す方法を考えねば」

「齊藤さん、近江屋も三人も急に入り込まれて、困っているのかもしれない。新選組があなたを狙っているから、助けに来ましたと言って連れ出すのは、どうだろうか」

「わしは、先程中岡から名乗られたばかりだ。面が割れている。でも、早くしないといけない。まずは、中岡が今近江屋のどの部屋にいるか。確かめることが肝心だ」

「何か方法がありますか」

「この家の倅が、近江屋に出入りしている。調べさせよう」

「峯吉、峯吉はおるか」

齊藤は、階下に向かって叫んだ。暫く間をおいてから返事があり、少し待たせてから、父親の菊屋伊之助と峯吉が二階に上がってきた。

「これは、夜分にご主人まであがって来て頂いて、かたじけない」

「先程、通りで大きな音がしたと思て、外を見たら抜き身を提げたお侍さんが集まったはったので、何かの捕り物でもあったのかと思いました」

「いやいや、この界隈に不逞浪人が紛れ込んでいるとのことで、見回り組が探索しているらしいです」

齊藤は、わざと新選組と言わずに、見回り組と言った。

「近頃はめっきり静かになったと思てましたのに、物騒なことですな。うちには御陵衛士さんが居はるしええけど、近江屋さんの方は大丈夫やろか」

「そうなのです。我々も近江屋さんが心配です。夜分に我々が見に行くと、厄介なことになりそうなので、峯吉君にちょっと見てきてもらおうかと思いまして」

「そうどすか」

先程から、不自然な笑いを浮かべた顔で、わしの顔色を窺うようにしている菊屋伊之助。ひょっとしたら、河原町通りでのやり取りを見られたのかも知れない。見られたとしても、相手が中岡慎太郎であることが分からなければそれでいい。

分かっていれば、非常に面倒なことになる。何しろ、この菊屋の二階は、かつて中岡慎太郎が間借りしていたところだ。当然、土佐藩や陸援隊の者には通じているはずだ。

我々が、中岡を狙っているのが分かれば、それらに通報され、逆襲される恐れがある。いずれにしろ、もうここは危険だ。すぐにでも、撤収するようにしよう。

「峯吉、近江屋さんに行って、坂本先生が無事で居られるかどうかを見てきて欲しいのだけれど、お願いできるかな」

「ええ、構いませんけど。こんな時間に何も要件なしでいくのも」

峯吉が言い終わらない内に、伊之助がすかさず。

「峯吉よ、今日言いそびれていた。坂本先生や長岡謙吉さんから、手配を頼まれていた『万国公法』が入って来てるねん。少しでも、早よ欲しいていうたはったから、今から持って行ってあげて欲しいわ。これやったら、こんな時間でも、歓迎してくれはると思うわ」

結局、峯吉は父の伊之助に『万国公法』を包んだ風呂敷を両手で抱えて、近江屋に持って行かせた。

齊藤は、坂本龍馬が隠れ家に無事でいることだけを確認してほしいと伝えた。

出来れば、顔を直接確認してほしいと伝えた。余計なことを言うと伊之助に勘繰られる恐れがあったので、それだけに留めておいた。

思いも他、峯吉は早く戻ってきた。

坂本龍馬は、昨日から風邪気味で隠れ家で臥せっているという。

「よし、毛内さん、これで作戦は決まった。毛内さんも、降りて大石さんと合流するか」

齊藤は、毛内の顔が切腹する者の直前の顔のように、血の気が引いてこわばるのを見た。気のせいか、以前にもそれを見たような気がした。

「冗談だ。毛内さんは、ここに居て状況を見ていて下さい」

「分かりました」

つづく

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