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心は、あの頃のままなのに(小説『天国へ届け、この歌を』より)

香田美月が、このマンションに来たという痕跡を全て消し去った。
土曜日に、単身赴任をしている私のところに妻の美由紀が来ることになっているからだ。
まさか、自分の娘ほど年の離れた女と浮気をしているとは、思いもつかないだろう。
しかし、感の鋭い美由紀のことだ。念に入りに証拠を消し去った。
その時、あることに気付いた。
私の中で、若い香田美月の存在が大きくなるにつれて、妻の美由紀の存在も大きくなり始めてきていることだ。
反比例するはずの関係が、明らかに正比例している。
若い頃、まだ結婚する前に、今と同じ気持ちになったことを思い出す。
その記憶が鮮明に蘇ってきた。
知らないうちに、香田美月と若い頃の美由紀が二重写しになってきている。
若い頃の美由紀。
零れ落ちそうな笑顔。
ボリュームのある少しウェーブのかかった髪。
白いレースの襟のついた水色のワンピース。
そして、初めて二人で迎えた朝の光。
闇雲に走り出したくなる。
胸が張り裂けそうだ。
気持ちは、あの頃と少しも変わらない。
心がときめく。
現実か?確かめたくて鏡の前に立つ。
鏡は、私にナイフを突きつける。
鏡に映る姿が現実なのだ。
裁判官の裁決のように的確に審判される。
鏡に映る私の顔は、くたびれて生気がない。
そして悲しそうだ。
私の心の中も、幻想なのだろうか。

私は、現実を突きつけられて、何か許されがたい罪を犯したような気がした。

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