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連作短編小説「雪ふる京のうつろい」『白木の棺』

帰りが遅そうなるというてはりましたが、主人はまだ帰ってきはりません。

夕方から、雲行きがおかしいと思っておりましたら、陽が暮れてから雪が降って来ました。

この季節に粉雪は珍しくありませんが、今夜降っているのは牡丹雪です。

庭の松に、牡丹雪が降りかかって、かさかさと音を立てております。

庭を見れば、一面の銀世界です。

もうだいぶ積もってきていることでしょう。

お供を連れているとは言え、年老いた身には寒さも堪え、足元もおぼつかなくて難儀しているのではないか気が気でなりません。

この季節、雪が降るたびに、必ず思い出すことがあります。

五味金右衛門ごみきんうえもん様の辛い思い出です。

その奥方のおこうの方も、昨年亡くなられました。

今夜は、慰めにそのお話をしましょう。

 

あの頃主人は、毎日朝早くから、遅くまで出て行ってはりました。

丸太町寺町通り上るの中井屋敷に通い詰めていたはりました。

当時の中井家のご当主は、まだ正侶さんの父上の正清さんでした。

正清さんは、大御所おおごしょ(徳川家康)様からの久事方くじかたをお勤めされておられた関係で、その頃の大きな建物の殆どを手掛けてはりました。

一代で久事方に、取り立てられた立派なお方でした。

お屋敷も、今風で立派なのが御所に近いところにあります。当時でも、敷地もうちの倍はありました。

その中井家に、主人は通い詰めておりました。大御所様がお亡くなりになられて、秀忠様の代に変わられてから、急に世の中が慌ただしくなりました。

大御所様は、お偉いお方で天下を取られると、真っ先に荒れ果てた神社仏閣の修復に取り掛からはりました。

私らも、その頃は奈良に居て、朝から晩まで大変忙しくさせて頂いておりました。お陰様で、主人の律儀な仕事ぶりが認められて、棟梁をまとめる大棟梁ならせて頂きました。

天下を取られて一段落して、さあこれから、江戸城やらの自分の周りの城や建物を手直しされようとした矢先に大御所様は亡くなられてしまいました。

あとを継がれた秀忠様が、それらを引き継ぐことになりました。

大御所様のお祀りするお社も作らねばならず、大忙しです。

私らも、奈良から京に呼ばれました。各々棟梁に仕える大工、職人など一族一統引き連れて、ここにやって来ました。

主人は、早速仕事に取り掛かろうとしましたが驚きました。

何も出来ないのやそうです。

材木やら、瓦やら、何から何まで、事前に見積もりを出して、お役人から許可をもらえないと手配できないそうです。

自分の目で見て納得した材料を仕入れることが出来ないのやそうです。

全部管理されていて、久事方の許可を得ないことには、何一つ手配できないことに、怒り心頭しておりました。

おまけに、工期が長くとも二年と期限を切られていて、それを過ぎると、大工の握り飯一つ分の賃金ももらえなくなるそうです。

平素は温厚な夫の与平次もさすがに、声を荒げまして「お上のお達しで、京に出てきたが、何かというと書面を回せとか、誰々に挨拶せよとか、つまらぬことばかりだ。何も進まん。わしらは、代々お寺様の加護を受けて、好き放題させて頂いた宮大工なのだ。それを、大工仕事にまで細かく口出しされるのでは、たまったものではない」と、憤慨しておりました。

えらい世の中になってしまったものです。

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