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今すぐ、会いに行きます(小説『天国へ届け、この歌を』より)

「香田さん、ちょっと」

青山部長に呼ばれた。

別室に来るように言われた。いつもは柔和な表情なのに厳しい顔をしているのが気にかかる。

「本社に行ったついでに、貴島支社長の見舞いに行ってきた。来月手術をするそうだ。復帰できそうもないから、月末で退職したいと言ってきた。何とか留保するように言ったけれども、本人は、頑として受け入れてくれなかった」

「そんなに、体調を崩されていらっしゃるのですか?」

自分自身でも驚く位に冷静な態度を取ることが出来た。

私にとって、貴島支店長は、広宣堂 大阪支店の貴島支店長。会社だけの存在。

オトーサンでも、貴島さんでもない。私は、オトーサンと貴島さんを無理やり心の中に押し込めた。

そうしないと、私は崩れそうになる。

私は壊れてしまう。

貴島支店長は、オトーサンでも貴島さんでもない。そう思い込ませることにした。

「末期のガンだそうだ。年末まで持つかどうか、わからないそうだ。・・・」

それを言い終わると、青山部長は、顔を悔しそうにゆがめて、目頭を押さえた。

溢れ出す涙を無理やり、押し込めるように両手で、顔を覆った。肩が小刻みに震えている。

駄目。青山部長のそのような姿を見てしまうと、私の中に押し込めているオトーサンと貴島さんが出てきてしまう。

私の指先が震え出した。

「キジマ。キジマ。・・・。貴島とは、同期なんだ。入社以来ずっと一緒だった。なのに、辞めるなんて言い出しやがった。もういい、お終わったと言いやがった。お互いまだ若いのに、これからなのに・・・。諦めないでくれ。貴島」

青山部長は、涙でまみれた顔をくしゃくしゃにして、まるで貴島さんに語りかけるように、私の方を向いた。

全身が震え出した。音が消えた。視界の中の色が消えた。

古い映画を観ているように、頭の中に映像が浮かんだ。

病室の中で、やつれ果てた貴島さんが、「もういい、終わった」と、か細い声で話す。

オトーサンが、貴島さんが、あれ程押さえ込んだのに、嗚咽と一緒にこみあげてくる。

頭の中を抜け出して、私の周りを回り出す。もう立っていられない。

「貴島は、何も言わないのだけれど、貴島の奥さんが、香田さんに見舞いに来てくれるように頼まれた。どうして、君の名前が出たのか分からないが、会社の書類や手続きのこともあるから、名古屋に行って欲しい。出張の扱いにするから、頼む」

香田さんの奥さん。

きんぴらごぼうとだし巻きを作って、わざわざ届けてくれた。

優しさが溢れ出るような味がした。

タッパーウェアーを返さなくちゃ。

今すぐに、貴島さんに会いに行きたい。

でも、入院している貴島さんの姿を見るのは、怖い。辛すぎて、自分を抑えきれなくなってしまうのが、怖い。

でも、奥様がいらっしゃる。優しい奥様がいらっしゃる。奥様が、優しく包んでくれるはず。

私は、貴島さんの奥様に包まれて、思う存分泣きたい。

「青山部長、貴島支店長が入院されている病院に見舞いに行きます」

                               つづく

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