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連作短編小説「時代の流れには逆らえぬ」『白木の棺』

お茶と茶菓子を持ちまして、奥の間に続く廊下を行きますと、大きな声が聞こえ来ます。主人の声でも、佐吉の声でもありません。ということは、甚五郎の声か。初めて、甚五郎が大きな声で話すのを聞きました。

喧嘩をしているような怒鳴り声ではありませんでしたので、躊躇なく襖をあけました。

部屋を入りましても、私に気付かないようで、甚五郎は話を続けております。

部屋の中央には、神棚を大きくしたようなお社の模型が置かれています。先程甚五郎が抱えていた包みの中身なのでしょう。三人ともが、それに顔を引っ付けんばかりに見入っています。

「中井正清殿が、お持ちになられていたキク扇子さえあったら、何もかも上手くいきます。さしがねだけでは、限界があります。」

「確かに、キク扇子など初めて見た。中井殿がおっしゃる通り、それがなかったら、これからの大きな建物は作れないだろう。しかし、あの規矩扇子をどうやって手に入れるのだ、そうやすやすと貸してはくれないだろう」

「師匠、中井様のところへ日参して、書き写してまいります」

「そううまい具合に行くかな、もし、仮に書き写すことが出来ても、使いこなせるかな」

「さしがねの表目と裏目の延長のようなものだと思います。多分使えると思います」

「そうか、それならば何としても、手に入れないといけないな。ところで、佐吉さん、このような模型を作ることは出来るか」

「このような、模型を作るのは、神棚を作るくらい簡単です。ただ、この模型を寸分たがわず実際の大きさにするのは、無理です。やはり、中井様がもたれていたような図面が要ります」

お茶を出している私には、一切お構いなしに話は続いていきます。

ほうほうのていで部屋を後にしました。主人が戻ってきたのは、それからずいぶん経った頃でした。

居間に、さも疲れたように座り込み、目を閉じて考え事をしている様子です。

そんな時、はれ物に触るように一人させるより、何か話しかけてあげる方が主人は気が紛れて、喜ぶのを私は知っております。

「先程、菊の扇子と言うてはりましたが、牡丹柄の扇子なら、何処かにありましたけど」

「いやいや、その菊ではなくて、規矩の方なのだ。さしがねの規矩の事だ」

「さしがねで出来た扇子は、さも重たそうですが、そんなに重たい扇子がありますのか」

「いや、紙でできておる。その紙に、さしがねに様に目盛りがついておる。さしがねは、表目と裏目だけだが、規矩扇子は、その他にも目盛りがついて、色々な組み合わせによって世の中にあるものすべてが、計算できるのだそうだ。中井殿がそう申しておられた。お久(ひさ)、世の中は変わった。わしらの職人の時代は、終わった。これからは、いかに短期間に安く大量に作らねばならないそうだ」

「与平次殿、常々申されていたのは、じっくりと時間をかけて、千年経っても残っている立派な建物を作るとおしゃっておりませんでしたか。それが、通用しない時代になってしまったということですか」

「そうだ、時代は変わった。こう世の中が目まぐるしく変わって行くと、そのような悠長なことは言っておられないそうだ」

「中井殿が、そうおっしゃっておられた。本心ではないかもしれない。しかし、最近の世の中を見ていると、中井様の言われることも一理あるように思える」

「信念を曲げるということですか」

「いや、曲げるということではない。今までの通り、後世に残る建物を作って行く。ただ、今までのやり方では到底出来ない。時代に逆らっては、いけないのだ。その時代の流れに沿って、行かなければ取り残されてしまうのだ。私は、中井殿の話を聞いてつくづくそう思った。お久、時代に逆らえないのだよ」

「規矩扇子とやらに頼ったり、今までのやり方を変えはったり、時代の流れに合わせてゆくと言わはっても、与平次様や佐吉さんのように昔から同じやり方をしてったのに急にやり方を変えはるのですか」

「急には変えることは出来ない。土台があって一つ一つ積み上げてきたものを映えることは難しい。だた、そのままでいたら、風化してしまう。土台をしっかり踏み固めながら、次の事を見定めていかないと駄目だ。しかし、私らではもう遅すぎる。甚五郎のような若い世代に託して行かなければならない。中井殿も、息子さんに託してゆくそうだ」

「そうでしたら、与平次様慌てずに今まで通りにじっくりと良いものを作ってやれたらよくないですか」

「本当は、そうしたいところなのだが、将軍様が急がれているそうなのだ。大御所様の祖廟を作る前に、京や江戸の主だった建物を整備されるそうなのだ。今度、江戸より五味様と言う造営奉行様が来て、指図されるそうだ。先ずは、東山の知恩院さんの前に大きな山門を作られるそうだ。中井殿のところへ直々に依頼があったそうだ。大きな仕事だから、我々にも手伝って欲しいそうだ」

「京に出てこられてから、急に権力に押されて、信念を曲げられるようになるとは、思いもしませんでした」

「そう言うな、時代が変わってしまったのだ。流れには逆らえない」

私も少し言い過ぎたことは、承知しています。

主人の顔を見ていればよく分かります。時代に押されて、悩んではるのです。

一大工やったら、信念を曲げずに仕事をするだけでよかったのですが、大工をまとめる棟梁のさらにそれをまとめる大棟梁の立場にいはりますので、それを考えての上で悩んではるのやと思います。

一族郎党引き連れて京に出てきているのですからおいそれと宗旨替えは出来ないのです。

辛い立場にいはるのやと思います。

主人は、強い信念を持っている人やと思います。そやけど、それに全て賛同していると、飼いならした虎のように、いつの間にか牙を向けることを忘れてしまいはります。

私も、代々続いた棟梁の家の娘ですから、つい主人の仕事について、口出しをしてしまいます。

意地の悪いように思われるかもしれませんが、主人の為を思って、敢えて意地悪なことを言います。主人は強い人です。あれこれ言われて、悩みに悩んで、これと言う方向が決まったのなら、自分の道を突き進んでいく人です。ですから、あれこれ言うのです。

私にも、分かります。

時代が目まぐるしく変わってきています。今は、いかに沢山のものを出来るだけ安く作れば良い時代に変わって来ています。昔の人は、千年先のことを考えて物を作っておられましたが、今の時代の人は誰も、千年先の事など考えておりません。そんな余裕がないのです。今の事だけを見つめていればよいのです。

主人を責めるべきでないのは、十分承知しています。

世の中が、変わってしまって行くことに、一番腹立たしい思いをしているのは、私なのです。

主人を悩ましている、この時代の風潮が憎いのです。

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