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東大生と京大生への講演 その4

「アナリストよ、
歴史家のように記述し、
科学者のように分析し、
芸術家のように共感し、
哲学者のように思考せよ。」


 2015年に東大生と京大生を相手にアナリスト業務について講演したことがありました。その講演内容をメモってくれた東大生のA君がいました。
 8年前のものですが、懐かしく想い紹介します。


■10■真の学力を備える


 一流のアナリストになるには、情緒は必要だ。だが、それだけでは不十分だ。
 アナリストには真の学力が必須だ。

 何かを論理的に理解しなければならないとき、わたしは数学や物理や工学の力を借りる。世の中というものは、そもそも、簡単に理解できるようなものではない。むしろ、世の中とは、ほとんど、人間にはわからないものであろう。
 だから、新聞や雑誌やテレビなどで、誰もが理解できるように工夫されて書かれた媒体に接しているなら、最後まで物事はわからないままであろう。
 世の中には人生をそれだけに費やしても理解できないような分野が無数にある。アインシュタインの相対性理論はどうだろうか。一般の人々に理解されているだろうか。量子力学はどうだろうか。電磁気学はどうだろうか。医学はどうだろう。数学では19世紀の内容でさえ、一般人には理解されていない。

 大学の4年間は短すぎる。せめて数十年は没頭しなければ、人々の頭は20世紀にさえ追いつけないのだ。だから、まず、知識面で、アナリストは時代に追いつくことである。
 アナリストは、読んでも考えても、全くわからないといったものに長期の展望を持って取り組むべきだろう。高度に専門化された工学や数学や医学の論文をすらすらと読める人はいない。読んでも理解できない部分の方が多い。だが、10年それをやり続ければ多少は違うだろう。20年やれば20年分、30年やれば30年分だけわかるようになる。

 投資家は、そのような難解なものを少しでも理解できるように長期の展望の下で努力すべきであろう。いわゆる通俗解説書は読まない方がよい※。
 また、ビジネス書や週刊誌を読んでも世の中のことがわかるようにはならない。医学論文や理学論文を読んで、その分野のことについて、ステップ・バイ・ステップで理解を深めていくには、しっかりとした基礎学力が必要だ。

 だから、学力は投資に役に立つ。

 専門家に聞けばよいという態度ではなぜいけないのだろうか。専門家にどのような質問ができるかどうかは、自らの学力の素地に依るからだ。素地があれば、より深い質問ができる。
(※数学の専門家が通俗解説書を書くことはできない。数学は通俗的に理解ができない。)

 一般人が読んでもわからないものこそ、マーケットに織り込まれていない。
 わからないもの、難解なものは市場に織り込まれにくい。
 一方で、学問は難解であり、専門家の世界だ。だからこそ、専門分野を恐れず、難しいものを継続して読むことに価値がある。
 ところがどうしたことか、いまのアナリストたちは、わかるものだけを読んでいる。
 たしかに、大量に読んではいるが。わかるものを大量に読むだけでは到達できない境地があるとは思わないのだろうか。


■11■どんな困難に対しても包括的な解決策が見いだせる。弁証法と細分法


 わたしは、一方で、人類に対して、また、この美しい世の中に対して、強い信頼を寄せている。

 特に、わたしは弁証法を信じる。
 弁証法は、「勝ち、負け」の二元論で世の中を見ない。世の中はゼロサムゲームではないという考え方だ。
 弁証法は、一見、対立する2つの事象は実はどちらも両立できるとする人間の編み出した最高の知恵の一つである。

 たとえば、経済成長が続く。すると、その弊害(公害)が生じる。
 そこで、経済か環境かという二者択一ではなく、人は必ず、弊害を克服しつつ、経済成長も同時に達成できる新しい方法を探す。そして、その新しい道は大抵の場合見つかるのだ。人類の寿命は長くなる。豊かになる。そして、公害も克服できる。

 弁証法といえば難解に響くかもしれないが、要は、よくあるお決まりのドラマのパターンである。
 主人公が気ままに生きていた。困難に遭遇する。主人公は苦悩する。それを乗り越えて、新たな高みに上る。困難に打ち勝つ。こうしたパターンである。
 このパターンは、実際の製品開発のパターンであり、技術の進歩のパターンであり、人間の歴史のパターンでもある。
 個人レベルで見ても、挫折を乗り越えるという経験こそが人生において大きな本質的な意味を持つ。

 すべての人間は尊敬されるべきだ。人間は誰も多重的である。
 世の中のひとつの物事には多面的な意味がある。その多面的な意味をすべて同時に肯定しても、全体として矛盾しないという教えが弁証法である。
 ドラマでいえば、弱い自分も強い自分もどちらも正しい。弱い自分が強い自分に。強い自分が弱い自分に。その繰り返しの中で、人は成長するという方法論である。

 もうひとつ、弁証法と並んで、人類を偉大なものにしているものがある。
 それは、どんなに複雑で困難な事象であっても、人はそれを単純な細分に分割できるということだ。つまり、どんな困難に思える事象も、比較的、簡単なものに細分していくことができる。
 現代数学の難解な学問領域についても、ひとつひとつ、丁寧な学習で一歩一歩勉強を進めていけば、時間はかかるが最終的にはそれなりの到達点に行き着く。どんな難しい問題に対しても、何らかの切り込み方、何らかの対応を考えることができるのだ。

 人は自由な発想を持つ。

 企業で働く個々人は、各々高い問題意識を持っている。
 人は「せっかく生まれたのだ。みんなのために、自分は何かできないだろうか」と絶えず自問しながら考えて働いている。「砂漠で穀物を育てられるだろうか」、「光合成を人工的に再現できるだろうか」、「海水を真水に変えられないだろうか」、「東京の空に天の川を再び輝かせることはできないだろうか」と。企業で働く人々は目を輝かせて働いている。

 いつの世も、様々な問題がある。
 子どもの貧困問題。あるいは、中国のひどい大気汚染。
 これらを見て、「なんとかできないだろうか」と思う個人がいる。

 企業の商品開発はこうした社会の問題意識やみんなの思いから生じる。
 そして、われわれには、そうした難問を解決できる知識、能力、やる気、仲間が備わっているのだ。

 だから、切実な社会の要請があれば、そこに必ず、その困難に立ち向かう人々(集団)が存在する。そのような集団によって、ある商品が世に出たとき、その商品がどうして存在するのか、その社会的な背景を感じ、投資家は心を燃やす必要がある。
 どんな商品にも存在価値はあるが、その重要度は人により違う。
 それを自問自答するのが投資家の態度だ。

 株価は単なる社会の影である。影を追いかけても実態はわからない。
 株価という影ではなく社会という実態を見ようではないか。

 社会は時代と共に変わってゆく。
 人類は多数の困難な課題を同時に解決しつつ、前進してきた。
 テクノロジーは進化してきた。数学、物理、化学、医学などの学術領域は深化してきた。
 わたしたちは昔より、平和になり、豊かになり、長生きになり、人類史上最も深く、最も広範囲な領域に渡る「知」を有している。

 その社会の変化の背景には、「こうなるべきだ、こうあるべきだ」というその時代における理想の姿がある。今の世の中でいえば、人権思想、機会の均等という理念だろうか。

 株式市場や政治や金融政策などを論じることも大事だが、社会の在り方や理想状態について、思い、考えることは、より高次元であり、より包括的である。政府や企業も社会の一部であるからだ。

 企業の売上は決算書を読めば「見える」。だが、その背景として、その売上の背景にある社会の潜在的な要請は感受性がなければ「見えない」。だが、見えないが存在する。
 そうした「見えないものを見ようとする努力」こそが、アナリストにとっては、非常に大切なのである。

 教養や学力がアナリストの頭の部分であるとすれば、社会や時代の要請を受け止める感受性はハート(心)の部分であるといえよう。アナリストには、時代精神や時代の風を感じる感性や他者に共感し理念に共鳴する情緒が必要だ。

 商品の出来やその商品の社会的な潜在要請が切実であれば、その困難に立ち向かい、成果を上げた企業は社会が真に必要とする。
 後述するDDMでは用いるのは、たった2つの基底である。それらは成長率と永続年数である。それら2つを同時に高めるような、時代精神にかなった商品を見つければ、DDMが示す通り、株価は指数関数的に上昇する。

 ならば、時代精神、社会のこと、時代の風を心で感じ、そして商品の出来を頭で論じようではないか。
 運用というのは理論ではなく、まず、態度である。
 よい目と豊かな心で社会全体の幸せを考えようとする態度が、株式投資家にとっての自然な態度であろう。

 人は、それぞれ理想を持ち、昨日の自身よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分が成長しているように努力する。一人一人、それぞれの理想を目指していく。
 社会は個人の集まりだから、そのような「理想状態を志向するベクトル」、「時代の精神」が社会に見える形で存在するだろう。時代の要請から飛躍する企業やその商品を選び抜く。商品も昨日よりも今日の商品の方が時代に合ったものになっている。
 アナリストは、そのことをしっかり見る態度で、高い学力と豊かな感受性で仕事に臨まなければならない。


(つづく)


(NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)


(情報提供を目的にしており内容を保証したわけではありません。投資に関しては御自身の責任と判断で願います。万が一、事実と異なる内容により、読者の皆様が損失を被っても筆者および発行者は一切の責任を負いません。また、内容は執筆者個人の見解であり、所属する組織/団体の見解ではありません。)

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