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お母さん電話【短編小説】

母を幼くして亡くしていた彼女は九州の大学を出て23歳のとき東京へ出てきた。

友達を頼り、しばらく居候してコピー機のリース会社の事務として働くようになり、ひとり暮らしを始めた。

仕事も慣れ、ある程度生活が整ってきたある日、会社に自分宛の電話があった。

「はいお待たせしました」
「もしもし?」
「はい」
「はああ!」
「?」

電話口の女性は彼女の名前を言い、
「お母さんです」
と、言った。
「あの、どう? はい?」
「あなたのお母さんです」

彼女は何を言われているのか戸惑い、
「すみません、わたしに母はいませんので」
「あの! 生きてるんです! わたしなんです」
「……」
「すみません、失礼します」

電話を切った。
酷いイタズラだと彼女は思った。

しかし、お母さんと名乗る人物は週に3度ほど彼女に電話をかけてきた。

「仕事の邪魔をしないでください」とか、「警察に相談しますよ」とか、「母はいないので」なんて、色々な言葉で迷惑だと伝えた。

お母さんと名乗る人物は、できるだけ邪魔にならないように、日の間隔をあけ、電話口でも粘ったりせず、ただ、わたしはお母さんなんだとだけ真剣に伝えた。

なぜ、会社にかけてくるのだろう?
訪ねてきたりもしないで、電話というのも気持ち悪い。
会社だけじゃなくて、わたしの住んでるアパートの場所は知られてはいないのだろうか?

信じてはいなかったけれど、気にはなる。
目的もわからないし、不自然なことも多い。
けれど、不完全なものほど逆に人は信じやすくなるというのも聞いたことがある。
そういう手口?

「お会いしませんか?」
と、彼女はお母さんと名乗る人物に電話口で伝えた。
「え?」
「何時にどこへ行けばいいか教えてください」
心のモヤモヤを振り払いたかったし、少し会社でも変なお客に絡まれているんじゃないかと噂が立ち始めていた。

18時に藤沢駅の改札で待ち合わせした。
帰宅時間で駅は随分と混み合っていた。
彼女は「お母さん」の顔を知らない。
連絡先もわからない。それに少し怖い。
こんな判断をして良かったのか?

「あの?」
彼女は声をかけられた。
そこに小太りの中年女性が立っていた。
「お母さんですか?」
「お母さんです」

二人は駅から近いカフェに入った。
彼女は、小太りの中年女性をジッと見た。
悪い人には見えない。むしろ人が良さそう。
アイスコーヒーが2つ席に届く。

「なぜ、あんな電話をかけてきたのですか?」
「すみません」
「なにか、目的があったりするのですか?」
「信じられないかもしれませんが、わたしはあなたのお母さんなのです」
「信じられないです」
「でも、証拠はないのです」
「証拠はない?」
「はい」
そう言うと、小太りの中年女性は自らの原付きの運転免許証を差し出した。
彼女の母親の名前とは全くの別人だった。

「死んだ母とは名前も生年月日も違うと思います」
小太りの中年女性は頷いた。
「そうなのです。わたしは、この人らしいのです」
「あの、言っている意味が?」
「この人の顔と名前で、この人の家族がいて、で、この人の記憶もボンヤリとあります。でも、わたしは強く、あなたのお母さんとしての意志のようなものを感じています」
そう言って、彼女をジッと見つめ涙を流し始めた。
「あの……」
「すみません……」

小太りの中年女性は、そう謝りながらも彼女を愛おしそうな眼差しで見つめていた。

「わたしのお母さんと思い始めたきっかけとかあるのでしょうか?」
「はい、最近この身体の人がパートで仕事している職場のコピー機が壊れまして、そのときお電話をかけさせていただきました。そして、電話対応してくれたのが、あなたです。あなたの声を聞いたあと、不思議とあなたのことを理解しました。生まれが宮崎、母親は亡くなり、父親が靴屋に勤めながら育てたこと、小学校の入学式、イジメられてた子を助けて、一緒に無視されたこと。わたしの中であなたをずっと見守っていたという「意志」のようなものが頭の中でずっと消えず、絶えず更新していくのです」
彼女は話してもいない自分の素性を口にされ、動揺した。
「電話口でわたしの声を聞いてからですか?」
「はい。わたしのあなたを見守っているという感覚はあなたが中学2年までで途切れています。そこからは、この身体の人と一体化したのではないかと」
「……」
彼女は「そう言われても」と、思った。
小太りの中年女性は、
「あの……」
と、真っ直ぐ真剣な眼差しで彼女を見つめて言った。
「はい」
「手を握っても良いですか?」
「え、手ですか?」
「はい」
彼女が手を差し出すと、小太りの中年女性は、急いで握り返した。

そして、目をつぶり手の温もりの中へと没入した。
しばらくその時間が続いた。

「……」
「……」

手を握られながら彼女は、まあ、この人がお母さんでも良いかな、と、思った。

「わたしのことは、好きですか?」
と、彼女が尋ねた。
小太りの中年女性は何度も何度も首を縦に振り、
「大好きです」
と、震えた声で答えた。
彼女からも自然と涙がこぼれていた。

その後二人はカラオケに行った。
小太りの中年女性は、浅香唯だけ何曲も歌った。
彼女はあいみょんを多めに歌った。
とても楽しい時間だった。

セシルを歌ったあと、
「たぶん、また消えてしまうから」
と、小太りの中年女性は言った。
彼女にもその意味は理解できていた。

二人は藤沢駅のホームでお互い上りと下りで別々の電車に乗り別れた。


それからは、電話も鳴らず。
お互い、会ってはいないらしい。






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