【短編(ドラマ)】ロードムービー
海を臨む県道の上、スロットルを捻りバイクの速度を上げる。
朝方はどんより曇って見えなかった空は、いつの間にか強い陽射しとともにその蒼を主張していた。
背中にピッタリくっつかれ、両腕で腹を圧迫され続けている。後ろの女はタンデムに慣れていないようだ。まばらに民家が見え始めた頃、右の太ももをトントンと叩かれた。停まれということか。
県道から逸れて細い道路へ入り、自販機の前でバイクを停めて降り、フルフェイスのヘルメットを脱いだ。海岸沿いを走って水分を含んだ潮風を受けたせいか、肌寒い季節だというのに結構な量の汗をかいていたみたいだ。
女もバイクを降りて、ハーフキャップのヘルメットを外し、茶色の長髪を両手で払った。そよ風に髪を靡かせながらニコリと笑い、坂の上を指差した。
「あそこの坂を上がったトコに、昔住んでた家があるの」
「ここに来たかったのか? じゃあなんで、あんな所にいたんだ。歩きじゃ夜になっても着かなかっただろ」
「久しぶりすぎて、迷っちゃったんだよね。エヘヘ」
迷って行ける場所でもないような気がするけど、本人がそう言い張るのならこれ以上詮索するのはやめよう。それよりも……。
「おれは濱田。君は?」
「私は……静子って呼んで。静かな子で、静子ね」
「えーと、静子さん。缶コーヒー飲む?」
彼女はフフッと微笑んで頷く。
「ブラックで。あと、呼び捨てでいいよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「昔住んでた家って……。廃屋じゃないか」
平屋を二階建てにするため無理して増築したような、屋根瓦と外壁の一部が剥がれ落ち蔦に侵食されつつある家。静子はこれが生家だと言う。家の周りには何に使われていたか分からない発泡スチロールの箱や廃タイヤ、割れた植木鉢なんかが打ち捨てられていた。
「濱田くん。こっちこっち」
呼ばれて廃屋の裏側に回る。静子が割れたガラス窓の枠を揺らして外そうとしていた。
「それ不法侵入ってやつでは」
「違うよ。自分の家に入るんだから、帰宅って言うの」
国語の勉強をしているわけではないのだが。結局2枚の窓枠を外してしまい、静子はよいしょと段差を乗り越えて廃屋に侵入した。彼女がいつまでも手招きするので、この国の法律については一旦忘れることにして、おれも恐る恐る廃屋内へ足を踏み入れた。
出ていく時にきちんと整理したのか、調度品は各部屋の隅にまとめられているし、物が床に散乱しているということもない。割れていた窓の付近には雨染みやカビが見られるものの、外観ほど屋内は傷んでいないようだ。
「あー、やっぱりここにあった。……ケホッ! すごい埃」
静子の声に導かれるように移動する。床が埃まみれなので、失礼ながらブーツは脱がないことにした。
さっき埃を払ったばかりだからか、まるで彼女が白いオーラを纏っているかのように見える。開かれた押入れの前に立つ彼女の手元には、一冊のアルバムがあった。
「私がまだお母さんのお腹の中にいた頃の写真もあるよ。見る?」
「いや、別に興味ないかな……」
「そりゃそうか。まだ名前しか知らないんだもの、当たり前だよね」
そう言って彼女は笑う。この笑顔……少しだけ、あいつに似てるな。ほんの少しだけど。
押入れの中には大きなガラスケースに入った洋風の人形、少し離れてボロボロのトランペット、その横に少し錆ついたギターが見えた。
なんとなく、ギターを取り出して状態を確かめる。ペグも弦も錆が浮いていて、ボディはまだ無事みたいだがネックは随分と反っている。
近くに置かれているスツールの埃を払い、座って足を組んでギターを乗せ、ペグを回す。少し錆びた弦は一応引っ張りに耐えてくれる。右手で弦を軽く弾きながら、左手でペグを回しチューニングを行う。
掻き鳴らしたら弦が切れてしまうだろう。だから軽くアルペジオで弾いてみる。やっぱりネックが反っているせいで弾き難いし音もバラバラだ。
「へぇ、濱田くんギター上手だね」
「まあ……一応プロだからな」
「あらま。そんな人が、なんでこんなトコにいるんだい」
「……休憩、ってやつかなぁ。時々遠くまで行きたくなるんだ」
しばらくギターから出る若干歪んだ音色を聴いていた静子は、飽きたのか別の部屋へ行ってしまった。ただひとりの観客を失った途端、なんだか面倒くさくなって弾くのをやめ、弦を緩めてからギターを押入れに戻した。
「さて、お目当てのアイテムを手に入れたことだし、行きましょうか」
分厚いアルバムをバッグに仕舞いながら、彼女は笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
気付けば海から離れて山間部を疾走していた。朝早くホテルで朝食を取って、今はもう14時。そりゃ腹がわざとらしく鳴るわけだ。
たまたま目に映った「そば」の文字に吸い寄せられるように、駐車場へ入りバイクを停めた。エンジンを切ってヘルメットを脱ぐ。後ろの静子を見ると、意図を汲んでくれたのか彼女は大きく頷いた。
個人店っぽいがその割に広い店内へ。四人掛けのテーブルに着いて、メニューを開き一緒に眺める。彼女は眉を顰め、小さく唸り声を上げ始めた。
「悩んでんのか」
「しらす丼も……いや、そんなに食べられないかなぁ。丼を付けるなら、牛めしも捨てがたい。いやはや、うーん……」
悩む姿が面白くて、ついつい笑ってしまった。
「濱田くんは、どうする?」
「おれは……瓦そば牛めしセットかな。って瓦そばは必須か」
「じゃあ、私はしらす丼セットにしよう。食べ切れなかったら、お願いするわ」
「任せとけ。なんせ朝は6時半に食べたから、腹が減ってんだ」
瓦そばが来るまで、少し静子のことを聞いてみることにした。彼女はおれのことに興味なさそうで、窓の外をぼんやり眺めている。
「えと、君は社会人? 平日にあんな車とかバイクでしか行けない所で歩いてた理由、教えてくれるかな」
「……気になる? 私のこと」
最初に彼女を見た時、少し嫌な予感というか、……声をかけるべきだと思った。その感覚を今、彼女に言葉として伝えて良いものかどうか。
「言いたくないなら、無理には聞かないよ」
「ね、私は幾つに見えるかな? 当てたら、答えてあげる」
彼女はテーブルに身を乗り出してきた。大きな目、化粧っ気がない割に長いまつ毛、スッと通った鼻、少しテカリ気味で弾力のありそうな肌。おれよりは若く見えるけれど……。
「24!」
「ブッブゥー。残念でした。はい、この話は終わり」
「あれ? 答えは?」
「女の人に年齢なんて聞いてはいけません!」
なんという理不尽。抗議をしようと思ったら、中々良いタイミングで瓦そばが運ばれてきた。食べ方の説明を受けて、さっそくいただく。
「美味いなぁ。茶そばってこういう味なんだな」
「うーん、やっぱり最ッ高。久しぶりに食べたけど、いいねぇ瓦そば」
牛めしも生姜が効いてて美味いし、黒い瓦の上で良い感じにパリパリになった茶そばもまた美味い。静子が残したしらす丼も楽しんで、さっきまで何の話をしていたかなんて忘れて、名物料理でただただ幸せな気分になっていた。
「いいの? 奢ってもらっちゃって」
「まあ、しらす丼を分けてもらったし、そんな高いモンでもないし」
「フフ、ありがと」
フルフェイスのヘルメットを持ち上げて、彼女に訊ねる。
「もうすぐ駅だけど、本当にそこまででいいのか?」
「……どうして?」
「いや、訊いてるのはこっちなんだけどな」
「もしかして濱田くん、私が……、っと。なんでもない、なんでもない」
やっぱり……。おれの思った通りだとして、これ以上詮索するべきか、それともこのまま彼女を駅まで送って何も見なかったことにするのか、急に重大な選択を迫られている気分だ。
「……とりあえず、走ろうか」
「うん。お願いします」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
駅には向かわず、さらに南下して大きな街を抜けて、港に着いたのはもう陽が傾き始めた頃だった。
「ああー、腰が痛い。お尻が痛い。濱田くんは大丈夫?」
「おれは慣れてるから。それより、これからどうするんだよ」
「あらあら? 誘拐犯が何か言ってるぞぉ」
「誤魔化すな」
静子の後ろには、夕焼けの色が混ざった海。午前中に眺めた日本海とは全然違う穏やかな波。だけど、おれは物騒な言葉を発する必要があった。
「死のうとしてただろ」
彼女は少し俯いて、目を逸らした。別に追い込みたかったわけじゃない。止めたかっただけだ。多分、最初に声をかけた時から。
「……半年前にね、離婚したの」
静子は海の方を向いて、続ける。
「別の女性との子どもができたから、って言われて。慰謝料もらって、別れて。アルバイト始めて、でも全然楽しくなくて。何の為に生きてるんだろ、何の為に生きてきたんだろって、考えてるうちに全部嫌になって。それでね、駅で降りて、夜通し歩いてあそこまで。すごく寒かった。怖かった。でも、もう終わりだからって、もう……死ぬんだから、……って……」
彼女の肩が小刻みに震える。
「おれは……」
「変な奴、拾っちゃったね。ゴメンねぇ。せっかくの旅行が、台無しだね。……本当にゴメン」
「おれは、喉に癌ができたんだ」
静子がゆっくり振り向いた。その瞳は、まだ新しい涙を生み出し続けている。
「手術して癌は無くなったけど、歌えなくなった。声がすぐに掠れる。それで、バンド活動を諦めた」
「……今は何をしてるの?」
「ギターを教えたり、スタジオで裏方したり、たまにレコーディングに参加したり、かな。一度は実家に戻って酒屋を継ごうと思ったけど、音楽を捨て切れなくてさ」
「すごいね。すごく素敵な仕事。いいなぁ夢があって」
おれは両手で彼女の肩を掴んだ。
「自慢したいわけじゃない。おれは夢を2回諦めてる。好きだった女性からも逃げた。今やってる仕事は本当にしたかったことじゃない。それでも生きてる。しんどくなったらこうして遠い所まで来てリセットして、また戻って、なんでもない暮らしをするんだ。おれだって、何の為に生きてるかなんて分からない。でも、生きてるんだ」
「……死んじゃ、ダメ?」
「ダメだ。生きて、見つけてくれ。生きる意味を見つけるために、生きてくれ」
目の前の静子は、ふっと笑みを浮かべた。
「私、横浜に住んでたんだけど、アパート引き払っちゃったんだよね。どうしよう」
「どうしようって言われても……。あー、もういいや。おれのマンションに来いよ、部屋空いてるから。新しい部屋、探すまでな」
「え? こんなどこの馬の骨か分からない人を? 詐欺かも知れないよ?」
「自殺詐欺ってなんだよ。あんな場所で拾われるまで待つ詐欺があってたまるか!」
「ホントだ。あり得ないわ」
おれたちは腹を抱えて笑った。
ヘルメットを被る前に、彼女へ伝える。
「東京に着いたら、アルバム見せてくれよ」
「なぁに? 私に興味が湧いちゃった?」
「まぁ、そんなとこ」
夜の海を背にして、スロットルを捻る。
背中に伝わってくる彼女の温もりが、今は心地良い。
〈ロードムービー from ラ・ラ・グッドバイ:終〉
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