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メイド・イン・シンガポール

シンガポールはメイド文化である。
違法就労も多いので正確な割合は不明だが、5世帯に1世帯がメイドを雇用している、とも言われている。
かく言う我が家も、シンガポールに住んでいた時は住み込みのメイドさんを雇用していた。当時私達は共働きで、長男を妊娠していた。そしてシンガポールでは基本的に「育児休暇」と言うものはなく、出産に関する休暇は4ヶ月しか付与されない為、出産後まもなく息子を託児所に預けるか、メイドさんに見てもらうかしなければならなかったのだ。そして、シンガポールでメイドを雇うのは、託児所に預けるより半分くらいの費用ですむ。コスト面でも大いに助かるし、うちは私も夫も新しい文化を取り入れることに抵抗がない人間(むしろ珍しい経験として面白がるタイプ)なので、夫婦で揉めることもなくスムーズにメイド雇用する事が決まった。

雇用する事が決まったとなれば、あとは「どんな人材を採用するか」である。普通の企業でもそうだと思うが、ある程度のスキルがあれば、あとは「この人と一緒に仕事がしたいか」と言うところが大きな判断材料になる。そして、今回のように1つ屋根の下に住み、生後間もない我が子を預けるとなればもう、問答無用で「人柄重視」と言うことになる。
言い方は悪いが、ハズレのメイドさんを引いてしまった友人は、お金を盗まれたり、SK2のシートマスクが無くなったりしたそうだ。Facebookの駐妻グループには「子供を虐待したメイド」と言う説明書きとともに当該メイドの名前と写真が回ってきたこともあった。
生活をスムーズにする為に雇うのに、そんな事があっては本末転倒だし、万が一にも我が子に危害を加えられたら、私は正気でいられる自信がない。
メイドさんとの面接の日、私はエージェントオフィスに向かいながら、どんな人達がいるのだろうと、興味と不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えていた。
まず最初に話したのは、シンガポールの街中でよく見かけるタイプの女性だった。その人は着古したTシャツと柔らかい半ズボンという、作業しやすそうな服装で、どかっと椅子に腰掛けた。服装に特に文句はないが、こちらが話し終わる前に質問を挟んでくるのが気になる。そして「どんな仕事はしたくないと思いますか?」と言う問いに対し、「大変なことや面倒な事はしたくない」と笑いながら答えた。大変正直で結構だが、面接の場での回答としてはちょっと頂けない。次の人は、すらっと背が高く、まるで大企業の面接に来たようなパリっとしたファッションをしており、受け答えも完璧だった。しかしなんだか完璧すぎる。なんとなくモヤっとした気持ちを抑えながら、夫に「こういう人がいいのかな?」と耳打ちすると、夫は「いや、この人はめちゃくちゃ裏表あるタイプだと思うよ」と言った。その人との面接が終わったあと、待機場所に戻った彼女を遠目から覗いたら、先ほどとはうって変わった不遜な表情で脚を組んでのけぞって座っていた。なるほど、夫もなかなかの観察眼である。
その後も、キャミソールに黒のレースを合わせたトップスにデニムのホットパンツという、キャバクラの面接かと思うようなファッションの子や何度も雇用先が変わっている人達などが続き、なかなかピンと来る人に会えないでいた。そして、その日最後の面接者が来た。
150cmも無いような小柄な若い女性で、薄いブルーの丸襟の半袖ブラウスに、ダメージのないブルージーンズを履いていた。緊張気味の表情で、ぺこりと私たちに会釈をすると、静かに椅子に座った。彼女は私達が話している間、決して遮る事なく、控えめながらも目を合わせながらしっかりと話を聞いてくれた。過去の経歴としても、各家庭を長期間勤め上げており、とても真摯な様子が見て取れる。私と夫は、すぐに「この人で決まりだね」とささやきあった。
エージェントと契約を交わし、すぐに彼女に来てもらった。
シンガポールからパリにスライドするまでの3年間、彼女はずっと真面目で誠実で、長男のこともそれはそれは可愛がってくれた。誕生日やクリスマスには、お給料の中から子供服やおもちゃを買って長男にプレゼントしてくれた。私達も、彼女と彼女のお嬢さん(彼女は故郷のインドネシアに幼い娘がいて、彼女のお母さん(おばあさん)が娘の面倒を見ていた)の誕生日には、ケーキを買ってきたりボーナスを出したりして、良い関係を築けていたと思う。そういえば、彼女のスマホの待受は長男の写真だった。そこは自分の娘じゃなくて良いのか?と思ったが、可愛がってくれるのはありがたいことだ。
今でも、時々「元気にしてるかな?」と彼女のことを思い出す。どこか新しい家庭で、大切に扱ってもらっていてほしい。


#シンガポール #海外生活 #メイド  

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