奥野ライラ

6年の海外生活から帰国後、適応障害で2度の休職に直面し自分の人生を振り返る。 4歳と7…

奥野ライラ

6年の海外生活から帰国後、適応障害で2度の休職に直面し自分の人生を振り返る。 4歳と7歳の子ども達とモラハラ気味の夫とのカオスな毎日を過ごしつつ、大好きな漫画で心を癒やす。

マガジン

  • シンガポール生活

    シンガポールで生活していた4年間の間に起きた出来事や思ったことなどを綴ります。

  • パリ生活

    2年間のパリ生活でのできごとを綴ります。

  • 人生と過去の話

    適応障害で休職になり、自分の人生を振り返ってモヤモヤとした記憶や出来事について、セルフカウンセリング的に書き綴っています。

最近の記事

メイド・イン・シンガポール

シンガポールはメイド文化である。 違法就労も多いので正確な割合は不明だが、5世帯に1世帯がメイドを雇用している、とも言われている。 かく言う我が家も、シンガポールに住んでいた時は住み込みのメイドさんを雇用していた。当時私達は共働きで、長男を妊娠していた。そしてシンガポールでは基本的に「育児休暇」と言うものはなく、出産に関する休暇は4ヶ月しか付与されない為、出産後まもなく息子を託児所に預けるか、メイドさんに見てもらうかしなければならなかったのだ。そして、シンガポールでメイドを雇

    • パリのスーパーのレジで怒鳴った時の話

      パリにいた2年間の間、一度だけ声を荒げた事があった。(子供達と夫に対してはしょっちゅうなので除く。) その日はいつも行っていたスーパーが臨時休業していたので、初めて行く小さなスーパーに足りない食材や日用品を買い足しに行った。 予定していた物たちをカゴに入れ、レジに並ぶ。まもなく私の番になり、ピッピッと商品がレジに通された。ところが提示された金額を見ると、思っていたより高い気がする。その日はあくまで足りない物の買い足しだったので、5-6商品しか買っておらず、おおよその金額の見当

      • パリ生活に必須なのは…

        パリの人達がとても親切でフレンドリーだと言うのは以前書いたが、それは街行く人もお店の人達も同じである。 冷たい人種というイメージがあったのに、なんてみんなエレガントで優しいのだろうと感動すら覚えていた。のだが、周りの人たちの話をよくよく聞いてみると、みんながみんなそう思うわけでもないらしい事がわかった。 SNSで繋がっていたある知り合いは、よく「パリのお店の人達はみんな感じが悪い」と投稿していて、私はいつもなぜだろうと不思議に思っていた。 ある時、知人から数人を集めてオスス

        • ミニマリスト・パリ

          「フランス人は10着しか服を持たない」という本がある。 そのタイトルの通り、フランス人にはたくさん新しいものを買うというよりは、古いものを格好良く大事に使うことに誇りを持っている人が多い。 毎シーズン流行が変わるなんてこともないし(もしかしたらそれって日本かアメリカくらいのものかもしれない)、ヴィンテージを取り入れながら「自分」の色を上手に出していて、パリの街中でそんな人を見かけると格好良くてつい横目で観察してしまう。 そしてその精神はファッションだけではなく、日々の生活の中

        メイド・イン・シンガポール

        マガジン

        • シンガポール生活
          2本
        • パリ生活
          5本
        • 人生と過去の話
          4本

        記事

          自由の国、シンガポール

          私は以前、配偶者の仕事の関係で4年ほどシンガポールに住んでいたことがある。それまでシンガポールには旅行でも行ったことがなかった。 チャンギ空港から乗り込んたタクシーから外を眺めると、真夏の太陽の日差しと濃いピンクの花をつけた植物が見え、ああ、楽しい毎日になりそうだなと思った事をよく覚えている。 シンガポールは、多民族国家である。中華系、マレー系、インド系など様々な文化の人々が入り混じり、お互いに文化・常識・言語・服装などが違う事を自然に認め合っている。 ゆえに、「他人にどう

          自由の国、シンガポール

          死期を悟った母が癌病棟の病室で私にした告白

          「ママ、ライラに言わなきゃいけないことがあるの」 母が改まった表情で私に言った。私は傍にあった椅子を、母のベッドの近くに置いて座った。 「ライラのお兄ちゃんはね、ママの子じゃないの」 母はそう言うと、手で顔を覆って泣き始めた。 私には21歳年上の兄がいる。母が20歳の時に兄が生まれ、その後何回か流産をしたがどうしても女の子が欲しくて、41歳の時にやっと私が生まれたのだ、と聞いていた。 兄は、父の先妻さんの子なのだそうだ。先妻さんは非常に美人で、その時代には珍しい才女だったら

          死期を悟った母が癌病棟の病室で私にした告白

          フレンドリーな街、パリ

          パリへ旅行に行くというと、昔は皆口を揃えて「パリの人は冷たくて、英語は通じないからフランス語で話さないといけないよ」と言った。 シンガポールからパリにスライドする事になったと夫に言われた時、それを思い出し正直私の気持ちは重かった。トロピカルなシンガポールの太陽と便利で適当な生活が、もともと大雑把な私にすっかり馴染んで心地よかったからだ。 パリか…。おしゃれな響きだけど、不便で治安が悪くて天気が悪くて人が冷たそうだ…英語も通じないんだろうな…。 実際パリに降り立った時、私の心は

          フレンドリーな街、パリ

          酒乱の兄との20年

          私が生まれた時、兄は21歳だった。 母が20歳の時に兄を産み、その後何度か流産をしたがどうしても女の子が欲しくて、41歳の時にやっと私が生まれたのだと聞いた。 私が物心ついた頃から、兄は酒を飲み暴れていた。 外で飲んで帰ってくることもあったし、家で飲むこともあった。 一番古い記憶だと、私が3歳の頃、夜母と並んで寝ていたら兄が帰宅し、鍵がかかっていることに腹を立てて、家の周りをぐるぐると周りながら大声で開けろ、開けろ、と叫んで壁や窓を叩きまくったことがあった。 酔って暴れる兄に

          酒乱の兄との20年

          末期ガンで母が他界してから、私の人生は大きくカーブした

          ※ガン闘病中の方は読むのをお控えください。 「ママ、何もないってことはないわよ」 検査結果を待つ病室で、母は言った。 母は大の病院嫌いで、何年も健康診断を受けず、体調不良があってもその原因を調べてみようともしなかった。 一度ぎっくり腰をやってからずっと腰が悪く、外出する時はいつも私がついて行って荷物を持ち、クッションを入れた手提げを持ち歩いていた。椅子に座る時に背中と椅子の背の間に挟んでおかないと腰が痛んで座っていられなかったからだ。 椅子に座る時と立ち上がる時、私が椅子を

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          パリマダムがスリにあったら、立ち上がり自力で財布を取り返す

          パリといえば、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。 エッフェル塔。クロワッサン。アートにおしゃれなパリジェンヌ達。 それらと同じくらい忘れてはならないのが、スリの存在である。 アジア人観光客は、特に狙われやすい。お金を持っているし危機管理が甘いと思われているのだ。かくいう私も、2年間のパリ生活の最後の最後、ちょっとした油断でスマホをやられた経験がある。それまでずっと気をつけていたのだが、帰国準備の疲れでぼんやりしていた隙をつかれた。あの時は随分悔しい思いをした。 では現地の人

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          自己紹介。

          初めまして。奥野ライラです。 配偶者の仕事の都合で約6年の海外生活から帰国後、図らずも2回の休職を経験する事になったアラフォーです。 仕事から離れて送る日々の中で、セルフカウンセリング的に自分の人生に起こったあれやこれやの諸々を思い出しつつnoteに綴ります。 ✔︎ 過去のトラウマやモヤモヤ ✔︎ 適応障害と休職 ✔︎ シンガポールでの生活 ✔︎ パリでの生活 ✔︎ 妊娠、流産、出産、育児 ✔︎ その他諸々 #自己紹介 #エッセイ #適応障害 #うつ #休職 

          自己紹介。

          母の日に折り紙で作ったカーネーションをあげたら「カーネーションってセンスの悪い花よね」と言われた話

          昨今あちこちで目にする「自己肯定感」の文字。 勿論高い方が良いのだろうが、おそらく私はそれが非常に低い人間である。 なぜ自己肯定感が低いのか。まぁスタイルは非常に日本人的であるし、顔も希望を言い出せばキリがないレベルだ。 しかし、私の場合こうなった理由には、母の存在が大きいと思っている。 私の母は非常に美しい人で、いかに自分が美人で幼少期から男性にモテていたかという話を、事あるごとに私に語る人だった。なおかつ自分の美的センスに絶対的な自信を持っており、他の意見は全く認めない

          母の日に折り紙で作ったカーネーションをあげたら「カーネーションってセンスの悪い花よね」と言われた話