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「文学をしているね」

人間をやっていると嫌になるほど、色々なことを考えるものだ。その殆どは、言葉を与えられることはなく泡のように消えていく。

それらに言葉を与えたくなったのは、いつからだろう。

私は本を読むのが好きだ。頭で言葉を膨らませて、色を付けて、張り巡らせる。あの一連の作業が好きで堪らない。センジュ出版がいつか出していた広告にもとてつもなく惹かれた。

図書館に逃げた。
本の中までは、
誰も入って
来れなかった。 

センジュ出版


自分の心の奥、思想には誰も入る術はない、そんな意味合いを感じて気に入った。繋がりが希薄になった現代で、繋がるということは他人を心の中へ入れるということかもしれない。


「生きているだけで、文学をしている人だから本を読む必要はないね」

当時高校生だった私は、作家山田詠美さんの作品の中でこの言葉に出会う。そして今でも忘れられない言葉となる。

前後の話はもうあまり覚えていないが、生きているだけで文学をしている人を私は何人も見てきた。生き方が、一冊の本になるような人。自分の頭で考えあぐねいて、選択をする人たち。

多くの本が模倣したような生き方をしている人が世の中には存在する。そんな人たちに、幼い私はひどく恋焦がれたものだった。

それから私の中のポリシーみたいなものは固まった。


「文学をするように生きる」、そしてその収穫

文学をするように生きる、そう思って生きてきた。なにをするにも、一遍のストーリーを書き上げるよう丁寧に、時に書き散らすよう乱暴に人生を進めてきた。

道に迷った時、自分に尋ねる。「今の私は文学をしているか?」と。それはどんな物語になるのか、と。

こんな面倒にも思える作業をずっとやってきて分かったのは、人生はどんな時もおもしろい、ということだ。

きっと人生において、これ以上の収穫はないだろうと思う。

本当に人生というのは、どんな時もおもしろいものなのだ。



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