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ちょっと酔い覚ましていきなよ [コーヒーSS]


俺:
「社長、今月いっぱいで会社を辞めさせてください。東京に行って、新宿に住みたいんです。会いたい人がいて。仕事はどこかの同業他社に入れなかったら、フリーランスで働きます」

今まで育ててくれた社長への礼もそこそこに、とってつけたような理由で数年間勤めた田舎の会社の退職を決めてきた。
そしてその足で行きつけのBARに向かい、世話になったマスターに退職と上京を報告した。
マスターは大したコネもなく上京する俺のことを本気で心配してくれている。
そうこうしていると、仕事終わりのさくらが来た。さくらと俺は中学時代からの腐れ縁で、気のおけない飲み友だちだ。

さくら:
「よっ、俺くん、お別れ言いに来てあげたよ」

さくらのふわっとした白のワンピースが疲れた目に優しい。

今日がこのBarでさくらと飲む最後の夜になるだろう。
もう先週のうちに東京に行って住む家は既に決めてある。
このBarの常連客だけが俺が上京する本当の目的を知っている。
俺はそう、大学を中退してまで始めたこの仕事と人間関係を捨てて東京に行くのだ。とある女性を追って。

俺の上京話が現実味を帯びてきた頃から、さくらとBARでする話はいつだって思い出話ばかりだった。
一目惚れで田舎を捨てるような男とする未来の話なんか持ち合わせていないってさ。まぁ一目惚れってのはさくらの誤解なのだけれど。

その日も、BARの常連客みんなと旅行に行った時の話や、嫌がらせの誕生日プレゼントを贈りあった話で、いつも通りの夜が更けていった。

俺:
「さくら、そろそろ帰ろうか。」
さくら:
「わかった、送ってく~。タクシー呼ぶよ」

Barからほど近い俺の家まで、タクシーの車内は無言だった。
二人とも、ちょっと飲みすぎたのかも。

俺:
「じゃあまたな!帰ってきたら連絡するよ。さくら、いつも本当にありがとな!」

家に着いて俺がタクシーをおりると同時に、いつもならそのまま乗って自宅に帰るさくらも車から降りた。そして俺からすっと背を向けてこう言った。

さくら:
「俺くんさぁ、最後までわたしを家に上げてくれなかったよね。飲み帰りに。ちょっと酔いを覚ましていけよ、なんて言ってくれる日があってもよかったんじゃない?
私はさ、俺くんが降りた後のタクシーでいつもひとりぼっちだったよ、LINEもくれないしさ。
まぁいいか、いいわよ、ここからいなくなっちゃうんだもんね。」

その声はちょっと笑っているようにも涙ぐんでいるようにも聞こえた。

俺:
「さくら。。。最後だし、うち上がっていけよ
一緒に朝焼け見ながらコーヒー飲もうぜ」

俺は精一杯気取った言葉をさくらの背中に投げかけた。

さくら:
「えっ、違うわよ、
酔い覚ましのコーヒーが飲みたいのよ。飲んだらすぐ帰るわよ。
何を考えてるのこのすけべ!!
さっさとどこへでも行って、あの女だけ追っかけてなさいよ。

振り向きザマに飛んできたハンドバッグがハンマー投げの軌道さながらに俺の顔にクリーンヒットした。

あれから10年は経った。
いつの頃からか、
苦いイタリアンローストのコーヒーを淹れるのが俺のルーティーンになっていた。あの頃の俺にはコーヒーを淹れて飲む習慣なんてなかった。
さくら、濃いコーヒーが好きだったな。

いつまでたっても
コーヒーという飲み物の旨さがよくわからない。
苦いよね、その苦さが癖になっているのは間違いないのだが。

今朝もほろ苦い思いを引きずりながら黒い液体を啜り続けている。

END


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