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【エッセイ】VTuberにどう思われているか、それが問題だ

人間関係というものは、人が関係をしあわないと発生しない。
一期一会とはいえ、他人は他人。
推しは推しども、他人。
ならば気にしなければいいというのは極論な話で、しかもそれがフォロワーやリストの監視対象になっていると話は変わってくるものだ。

最近うちのフォロワーにひょんな者がいて「あるVTuberから監視されている」と話す。
彼の行動と、そのVTuberの様子を見るにどうもその発言は間違っているように思えないほどに、瓜二つ。
いたちごっこのように、VTuber側行動が伴っている。

嘘みたいな話だが、これが数十万人のフォロワーを持つVTuberなのだから私も驚きだ。むしろ悩みにはこたえつつも、時折面白半分になってしまう自分もいる。

とはいえ、自分自身の状況をともいえば、同じようなものだ。
多数のVTuberがフォロワーにおり、リストに入れられたりすることも少なくない。
特にそれが嫌ということは大体はないのだが、
ふとよく思うのが「自分のことをどう思われているのだろう?」という疑問だ。

冒頭に申した通り、我々は他人同士。所詮気にしなくてもいいのだが、とはいえ好きな対象であったりすれば、自分がどう思われているのかは気になるものだ。
特にある推しについては、実は別垢でいつも推し活をしているからに、推しの事を好きだとは当人はわかっているだろうけども、表のアカウントでは一切その素振りすら見せない。しかも、他のVTuberの話ばかりしているのだから、「どう思われているのか」と答えの出ない答えを頭に浮かべてしまう。

また、人間過去に失敗したことは数知れず、それはVTuberに対しても失敗をしでかしていることが何度もある。
私の場合はその数も世に出ているものも多く、名前や話した内容を間違えたりだとかでひと悶着あったことも少なくない。
そのため、今でもひと悶着あったあとでも私をフォローしている彼女らの気持ちはいまだに読み取れないままだ。
許してくれているような発言をもらったことがあっても、私の中のモヤモヤはずっとは消えないのだ。

いずれか忘れれば済むかもしれないが、された方は案外こういうのは覚えているもの。自分の失敗をいかに改めるか、人生って一度の失敗をしたあとが難しいと思う日々である。


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