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『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉



七年前に
夫の一樹を亡くしたテツコと、
現在も同居を続ける一樹の父・ギフ。

そして、
そのふたりの周りにいる人たちを
描いた物語です。

店員が包むパンの皮がパリンパリンと音をたてたのを聞いてテツコとギフは思わず微笑んだ。たった二斤のパンは、生きた猫を抱いた時のように温かく、二人はかわりばんこにパンを抱いて帰った。
悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだと知ってから、テツコは、いろいろなことを受け入れやすくなったような気がする。


まだ一樹が生きていたころ、
そのお見舞いの帰り道、
深夜のパン屋さんで買ったパンを
抱きかかえて歩く
テツコとギフ。

私がこの小説で、
いちばん好きな場面です。


テツコも、
ギフも、
その周りの人たちも、
みんな愛らしくて
やさしい人ばかりで
みんなほんとうに
素敵なのですが、
私は特に
テツコの恋人の
岩井さんが好きです。

作中に
八木重吉の詩が出てきます。
「うつくしいもの」という詩。

わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ

岩井さんは、
誰よりも「ほんとうに 美しいもの」を
信じている人です。

ちょっと抜けていて、
ぜんぜんかっこよくないんだけど、
とても素敵な人です。


彼らの何気ない生活と言葉が
心をあたためて、
柔らかくほぐしてくれました。

生きる力をもらえる小説です。

「自分には、この人間関係しかないとか、この場所しかないとか、この仕事しかないとかそう思い込んでしまったら、たとえ、ひどい目にあわされても、そこから逃げるという発想を持てない。呪いにかけられたようなものだな。逃げられないようにする呪文があるのなら、それを解き放つ呪文も、この世には同じ数だけあると思うんだけどねぇ」

「人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」

今、私はファスナーの先端だと思った。しっかりと閉じられているこの道は、私が開けてくれるのを待っている。


『昨夜のカレー、明日のパン』
木皿泉
河出書房新社

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