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新宿三丁目のカラオケに一人でこもる日々

ああ、今日はもうカラオケに行かないと無理だという日がある。仕事で疲れていたり、ストレスを溜めていたりするときがほとんどなのだが、じゃあ具体的に何が嫌で、何が辛いのかみたいなことを聞かれてもわからないケースが多い。とにかく、カラオケに行って歌わないとダメだと察知するのだ。

2021年〜2023年春ごろにかけて、新宿三丁目に事務所を置く会社に勤めていた。新宿二・三丁目の飲み屋の間にあるようなところで、夜になると大きな笑い声と歌声がよく聞こえる場所だった。その声が聞こえてくると、「もう今日の仕事はいいか」と仕事を切り上げて帰路に着くのだ。

しかし、私は帰路の途中にある、新宿三丁目のカラオケチェーンによく立ち寄っていた。「1時間で」とカウンターで告げ、ドリンクバーで二杯のジュースを取って、指定された部屋にこもるのである。着席してすぐ手指の消毒をして、デンモクをテレビに向ける。

カラオケに行こうと思うときは、夕方くらいからソワソワし始める。「あ、きょうは無理。カラオケ行かないとやってらんない」と思うのだ。曲などは特に決めることなく、カラオケの部屋に入って思い立ったのを歌う。

ある日はaiko縛り。aikoのかなりのコアファンなので、友達もよくわからないような曲を入れ、キーを調整してでかい声で歌う。このでかい声が大事で、腹式呼吸で息を吸って、腹筋を使って声を出す。たまにマイクが邪魔になって、マイクなしで歌う。声がでかいので、まったく支障がない。

そしてある日は、新しい曲ばかり歌う。私にとってその瞬間瞬間に聞いている曲は、仕事だけではなく人間関係や家族にいたるまで、いろいろな思いが乗っていることが多い。カラオケに入っていない曲も多いが、探してみてあれば、その歌に思いを乗せて歌う。友人の美香いわく、私の歌は「ソウル」らしい。

こうやって、新宿三丁目のカラオケの部屋に”何か”を置いて帰っていた。多いときは週3日くらい行っていたと思う。帰るときは多少喉が枯れ、店員にそれを悟られないように「IDで払います」と言って、軽く咳払いをする。ただ、「きっと店員から『歌いすぎ』って思われてるだろうな」と考えて、恥ずかしくなるというところまでが毎回のセットだ。

私は音楽関係の仕事をしているわけではない。自分で楽器も弾かない。バンドを組んだこともない。ただ音楽が大好きで、音楽に何度となく救われた経験を持っている。その救われた経験とは、ある曲の歌詞の考え方がなかったらこういう挑戦をしなかったとか、辛いときに支えてくれたみたいなことに加えて、この「もやもやした思いをカラオケで発散する」という行為も生活においては大事だったのだ。

実際のところ、当時の仕事は散々だったと思う。自分で選んだ道とはいえ、新卒で入った会社より給料が低く、住むところを指定され、後輩たちの指導もかなり大変で、会社も圧倒的な人材不足だったから3〜4人の仕事を担っていた。ただ、自分で選んだ道だからと歯を食いしばって、多少の見栄も張りながら、周囲には「楽しいよ」って言っていた。

だけど、楽しいよの裏側にはいろいろな思いも抱えていたし、自分でも気づかないような自分に合っていない業務があったりもした。迷いながら現状をなんとか良くしようともがいていたのだ。

そんな生活の中で、歌を歌うということはまるで街灯のように、日々を照らしてくれていたのだと思う。マイクを握ったり、握らなかったりして叫んだたくさんの言葉が私の足元を照らしてくれたから、私は日々を生きていけたのだと思う。カラオケに行けるというのが、私の拠り所だったのは間違いないのだ。
 

年末が近づいてきた。年末になるといつも今年の音楽を振り返るイベントを親友たちとやっている。そのイベントを通して自分の音楽史を振り返り、そして自分と親友たちの人生を振り返るのだ。それがこのうえなく好きだ。

自分を照らしてくれた音楽があったから今年も乗り越えられた。カラオケでたくさんの歌を歌うことが、私の基礎になっているのだ。変だけど自分らしいなとも思う。


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