OLi[生きる姿を、音楽と。]

32歳の不器用なサラリーマン2人(環と太)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介…

OLi[生きる姿を、音楽と。]

32歳の不器用なサラリーマン2人(環と太)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介するエッセイメディア「OLi」です。 1日1日を生きるあなたに、人の生きる姿を、音楽とともに紹介します。 毎週金曜日更新。願わくば、僕たちが紹介するストーリーや音楽があなたに寄り添いますように。

マガジン

  • 太のストーリー

    生きる姿を、音楽と。太のストーリーを紹介します。

  • トウキョウ百景

    東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育ったのは、東京だった。 「トウキョウ百景」

  • 環のストーリー

    生きる姿を、音楽と。環のストーリーを紹介します。

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  • 固定された記事

エッセイメディア「OLi」はじめます。

はじめまして。 28歳の不器用なサラリーマン2人、環(たまき)と太(ふとし)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介するエッセイメディア「OLi」です。 1日1日を生きるあなたに、人の生きる姿を、音楽とともに紹介していきます。 毎週金曜日、たまーに不定期で更新していきたいと思います。 「OLi」に込めた思い 日常を生きていると、楽しい時間を過ごすこともあれば、納得できなかったり後悔したりすることもたくさんあります。 そうすると、どうしてもモヤモヤした気持ち、「澱(おり

    • 明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン

      社会人5、6年目の頃、京王線と京王井の頭線で、渋谷の会社まで通勤していた。 さすがに学生気分は消えけていたけれど、学生時代の思い出にまだ少し後ろ髪を引かれていたような時期だった記憶がある。 仕事が忙しくて終電やタクシー帰りをすることも多かったけれど、会社で仕事をするのに疲れてしまった時は、途中で切り上げて家に持ち帰ることもあった。 ある日、会社を出て井の頭線に乗り込んだ時に、無性に家系ラーメンが食べたくなった。久しく食べていない。 CLUB Queの側にあるラーメン屋に行く

      • 西新宿の夜が明ける

        引っ越すことになった。例によってまた転職をするのだ。しかも前に勤めていた会社に戻る。なかなか変なキャリアを辿るなあと自分で自分を思っていたが、引っ越し当日を迎えて感じたのは夜が明けるときのような期待感だった。 転職の理由は非常にシンプルで、仕事が耐えられなくなったのだ。それは今の仕事が嫌いだということではなく、前にしていた記者の仕事があまりにも面白かったから、毎日の9時間の拘束が窮屈で仕方なく、少しでも嫌なことや悪いことがあれば目についてしまう。そんな状態を1年近く続けてい

        • 汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

          大学時代、汐留のとある会社でバイトをしていた。 24時間対応のシフト制のバイトで、夜勤に入る時は帰宅に向かう背広姿のサラリーマンに逆行して、適当な私服姿でオフィス街を歩いて出勤した。 まだパワハラやセクハラが問題視される前だったのと、業界的に体質が古かったこともあって、社員からよく怒鳴られた。 電話を取るのが遅いこと、声が小さいこと、話が面白くないこと、性格がオープンではないことをチクチク指摘された。 夜勤の時は、夜ご飯を食べるような時間から深夜の2時頃まで働き、数時間の

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        • トウキョウ百景
          44本
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          94本

        記事

          中野のコンビニで笑顔がひきつる

          「坂本くん〜〜〜!いいわね、あんた本当にいい笑顔」 純二店長は、まるで甥っ子や姪っ子でも愛でるように私を褒めちぎる。しかし、隣にいる親友・そぼろの顔を見ると表情が厳しくなり、「あんたは愛嬌が足りないね。お客さんにしっかり挨拶しなさい」と吐き捨てる。なんか嫌だな、と思っていた。そぼろは携帯電話の電話帳に、店長の名前を「クソ」と登録していた。 私は高校2年生のとき、一瞬だけコンビニでアルバイトをしたことがある。部活動と両立できるっしょ!とか思っていたけど、部活で疲労が溜まってい

          中野のコンビニで笑顔がひきつる

          京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと

          社会人になってから、一度だけボランティアサークルに入っていたことがある。ただ仕事でパワハラを受けた時期と重なってしまったり、それに伴って転職したり、なんかバタバタしてしまって、数回参加しただけで辞めてしまった。 なのでそこでの人間関係はほぼ出来なかったけれど、1人だけ、原山くんという大学生の男の子とは、連絡を取り合う仲になった。 原山くんは日本映画が好きで、愛嬌があって、ただ少し斜に構えた感じもあって、初対面の日からすごく気が合った。人見知りの自分にとっては、だいぶ珍しい距

          京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと

          自由が丘で藤井隆(さん)のパーカー

          私のテーマソングの一つに、藤井隆が椿鬼奴とレイザーラモンRGと一緒に歌うkappo!がある。なぜテーマソングなのかというと、私は自分が藤井隆に似ていると勝手に思っていて、なおかつ結構な頻度で周りからも言われることがあるからだ。 藤井隆との共通点は何か。それはジェンダーが不明という点だと思う。彼が過去に男性同性愛者的な役を演じたことや、アイドルのオタクであること、そして金髪のかつらをかぶって別人格を演じてバラエティ番組をやっているなど、彼はイメージや役割、ジェンダーに縛られず

          自由が丘で藤井隆(さん)のパーカー

          崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜

          TwitterあらためXの治安が悪い。 僕がはじめてTwitterに手を出したのは高校を卒業した2010年で、その頃はとてもほのぼのしているSNSだった。 たとえば、朝起きた時に「OCEANLANEの曲みたいな空だ」と呟いたら、会ったこともない人から「私もです!」とリプライが来たり、できたばかりのサッカーチームの公式アカウントをフォローしたらすぐにリフォローしてもらったり、それらが治安の良いエピソードなのかはわからないけれど、とても楽しい世界だった。 今は少し呟くと当たり屋

          崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜

          2024年3月23日のZINE FEST出展決定!

          みなさん、こんにちは。環です。 この度、2024年3月23日に吉祥寺PARCOで開催されるZINE FESTに参加することが決まりました! noteで公開しているさまざまな物語を印刷し、ZINEにまとめて出展します! もしかしたらnoteで公開していない新作もあるかも!? 今回は環、私の物語でよく登場する美香、そしてイラストレーターの友人と一緒に参戦します。 私も太も、読んでくださるみなさんに会いたいといつも思っているので、ご都合が合えばぜひお越しください! ZINE

          2024年3月23日のZINE FEST出展決定!

          世田谷の道に置いてきた

          二股に分かれた道だった。敦は私が後ろから追いかけてくると思っていただろう。だけど私は、敦が進んだ左の道へは行かず、右へ行った。敦の方を見ることもなかったし、気にすることもなかった。初めて自覚的に人との縁を切った瞬間だった。 2010年春、私は大学生になった。勉強も遊びも充実させたいと思っていた自分にとって、大学はさまざまなチャンスや情報が転がっているように感じられ、胸が躍るとはこういうことなのかと思った。ただ、蓋を開けてみると、そこにはマイナスな雰囲気も一定あって、特に同級

          世田谷の道に置いてきた

          新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習

          大学生の頃、音楽雑誌を作るという名目で集まって、ひたすらダラダラするサークルに入っていた。 音楽雑誌を作るという名目で集まった割に、音楽にはあまり詳しくない大学生の集まりだった。 それっぽいサークルの形をなぞって数年連続でフジロックに行ったこともあったけれど、大御所のヘッドライナーを観てもわかるのは名前だけで、高いチケット代をドブに捨てて都内に戻ってスーパー銭湯でぬくぬくしていた。 大してライブも観ずに苗場食堂で酔っ払った同期が「くるり聴いてるってなんかオシャレだよな!」と浅

          新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習

          目白で気が引き締まっているのは私です

          「次は目白。目白です」 山手線のアナウンスが告げる。まだ一駅しか乗っていないのにな、と惜しく思う。そして胸が高鳴り始める。 浅くなり始めた呼吸のままエスカレーターを登り切り、改札を出て右へ進む。そして20歩くらい歩けばすぐに門が見える。学習院大学だ。 私は大学1年〜3年くらいにかけて、よく学習院大に行っていた。それはバレーボールの練習をするためだ。私が通っていた大学と学習院大は提携のようなことをしていて、毎年対抗試合がある。それがきっかけで学習院大のバレー部の人たちと仲良く

          目白で気が引き締まっているのは私です

          豊島園近くの生活には映画館と美味い焼き鳥屋があった

          住んでいる家の近くに映画館があることは、確実に暮らしを豊かにする。 そのことに気づいたのは、自分が一人暮らしをはじめて、車や電車で数十分かけて移動しないと映画を見ることができない環境に置かれてからのことだった。 育った実家は自転車ですぐの場所に映画館があったので、夕飯を食べてから映画を観に行って、帰ってきたら風呂に入ってすぐ布団に入るみたいなことができた。 それから何度か引っ越しをしたのちに、一昨年まで住んでいたのは、自転車圏内に映画館がある街だった。 具体的には豊島園のユ

          豊島園近くの生活には映画館と美味い焼き鳥屋があった

          浅草の喫茶店で会いましょう

          大阪から友達が遊びにきた。宗(たかし)は私が大阪にいる時に知り合い、いつもお笑いだの人間関係だのの話しで笑い、最後はだいたい「かつみさゆり」の話をして帰るという、変わった友達だ。波長がとにかく合うので、私が大阪に行く時、宗が東京にくるときは大抵遊ぶ。 宗が遊びにきた時、東京らしいところと考えて、東東京を選んだ。下町であるそのあたりであれば、東京っぽさが満載で楽しめると思ったからだ。私は東京出身だが両親は地方の人間なので、下町にいる代々東京に住む人たちには、何か憧れのようなも

          浅草の喫茶店で会いましょう

          荻窪の本屋や食堂と同じように、僕の日常も着実に前に進んでいる

          ちょうど3年前、当時住んでいた家から一時間近くかけて、奥さんと一緒に自転車で荻窪まで行った。 目的地は、前から気になっていた本屋Title。 足を踏み入れて、じっくり本棚を見回して、いくつか本を買って、すこし店主の辻山さんとお話して、「ひょっとすると、ここが一番好きな本屋かもしれない」と思った。 今じゃ独立系の個人書店に行く機会は増えたけれど、チェーンの新刊店やブックオフばっかり行っていた身からすると、棚がものすごく魅力的に見えた。 ちなみにこの時買ったのは、文芸誌や気に

          荻窪の本屋や食堂と同じように、僕の日常も着実に前に進んでいる

          杉並で静かな正月を過ごせたこと

          2023年12月31日。私は東京駅行きの上り新幹線に乗っていた。パートナーの実家から一人、自宅に戻っていたのだ。パートナーの実家、そして自分の実家でも年越しをすることはできたのだが、私は一人になることを選んだ。 理由は特にない。なんとなく一人になる時間が必要だなと感じたからだ。本来、私は人と過ごすことが好きで、毎年パートナーや親友、普段会えない友達にも片っ端から会い忙しい年末年始を過ごしていた。ただ、今年は例年過ごしていた友達が都合がつかなくなったこともあって、一人で良いか

          杉並で静かな正月を過ごせたこと