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中野のコンビニで笑顔がひきつる

「坂本くん〜〜〜!いいわね、あんた本当にいい笑顔」
純二店長は、まるで甥っ子や姪っ子でも愛でるように私を褒めちぎる。しかし、隣にいる親友・そぼろの顔を見ると表情が厳しくなり、「あんたは愛嬌が足りないね。お客さんにしっかり挨拶しなさい」と吐き捨てる。なんか嫌だな、と思っていた。そぼろは携帯電話の電話帳に、店長の名前を「クソ」と登録していた。

私は高校2年生のとき、一瞬だけコンビニでアルバイトをしたことがある。部活動と両立できるっしょ!とか思っていたけど、部活で疲労が溜まっているうえ、友達とも遊びたかった自分にとって、毎週決まったタイミングで自分の自由時間を削られるのが苦痛で、1ヶ月ほどですぐに辞めた。


そもそもアルバイトをやろうと思ったきっかけが、親友であるそぼろと一緒に何かをしたく、何をやっていても大体楽しい自分たちにとって「コンビニのアルバイトくらいなら」と思ったことだった。今考えれば、本当に世の中を小馬鹿にしていて良くないと思うが、高校生の自分たちにとって、世の中はまだまだ軽かったのだ。

アルバイト先の店長、純二さんはおそらく同性愛者だったと思う。それはどうでも良いのだが、ことあるごとに私と親友のそぼろを比べ、そして結果的に私に愛(?)を伝えてくるのだ。「あなたの方が優秀」「もっとバイトに入って」「かっこいいね」といった具合に。でも、「そぼろと一緒じゃないと意味ないんだよな〜」と思って、大体は苦笑いをして乗り越えていた。

一方で、なんとなく自信を持ってしまっている自分もいた。そぼろは本当にただの被害者なのだが、誰かと比較されたときに勝つというのはわかりやすい構図だから、私は得たいの知れない自信のベールのようなものに包まれた。「なんか世の中でなんとかやれるじゃん」と。


そしてバイトをちまちまとやっていたが、店長はなんかキモいし、普通に部活で疲れてバイトはだるいし、結局はフェードアウトするようにやめた。なんて言って辞めたかはわからないけど、ばっくれに近いと思う。

そして、制服を返しに行かなくてはいけないのだが、私は純二店長に対して親友を馬鹿にしている腹立たしさと、なんとなく距離の近い感じに嫌悪感を抱いていて、行けずにいた。そして制服に返しにいって給料を受け取らないといけないのに、「純二店長に会うくらいなら良いか」と思って、ずっと棚上げにしていた。

一方、そぼろは制服を返しに行き、店長に嫌味を言われながらも給料を受け取ったという。
「え?環いってないの?クソは相変わらずクソだけど、もう一生会わないんだからいいじゃん」
そぼろが悪い笑みを浮かべる姿を見て、実は俺の方が小心者で優しすぎる(悪い意味)のではないか?と思った。いいな、なんだかんだ図太いんだよそぼろはさ。


そして思い当たる。私はおそらく、純二さんからもらっていた得たいの知れない自信も失いたくなかった。私への評判が180度変わるのが嫌だった。そうやって周りの目線を気にして生きていたのだと思うと寒気がする。そして私はバイトに関する一切のものを段ボールに詰めて、見えないところに隠したのだった。

月日が経ち、働くようになって転職も経験した。今では自分のキャリアや人生を考えて、いろいろな選択肢ができるが、世界の広さをまだ見ようとしていなかった高校生の頃は、どんな言葉や思い出にも自分なりのフィルターがかかって輝いて見ていたのだ。どちらの方が幸せなのだろう。純二さんにもらった自信をあまり質が良くないと気づいてしまってからは、なんだか凹んだりもしている。


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