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美しいものを見ていたい。

美について考えた日。

今読んでいる三浦しをんの小説「愛なき世界」の中で、植物学者の登場人物が、調査旅行に出た同じく植物を研究する友人に腐生植物(光合成をしない植物)の写真でも撮って来てほしいと頼んだが、その友人が足を滑らせて崖から落下して死んでしまう。彼が最後に撮ったピンボケの写真が残っていて、でも、彼は、それがシロシャクジョウという高さ3㎝ほどの真っ白い妖精のような植物だと確信する。自分が余計な頼みごとをしたばかりに友を死なせたと苦しむ登場人物の心が癒える時、その友人が最後に真っ白い妖精のような植物を見たんだ、美しいものを見たんだと思うシーンが出てくる。

今朝この本のそのシーンを読んで、美しいものを見ていたいと思う気持ちについて書こうと思い、今このnoteを書く前にNETFLIXで「Infinite Storm(無限の嵐)」という映画をたまたま選んで観た。パム・ベールズという女性の山岳救助員の実話で、幼い二人の娘をガス漏れで死なせてしまったことに苦しみながら、ある日、嵐が吹きすさぶ山頂でひとりの男性を救助し必死に下山する。彼も、一年前に亡くした愛する女性を探して彷徨っていた。ふたりとも死にたかったという過去を持っている。無事下山したふたりが会うシーンで、いつか楽になるのかと問う男性に、パムが言う「There is so much beauty even in the storm, even in the pain, in the wind, there is so much beauty. The whole universe appears as an infinite storm of beauty.」(嵐の中でも、苦痛の中にも、風の中にも美がある。宇宙は無限の美の嵐のようなもの)」(訳:私)

私は植物が好きで、植物の写真を撮ってInstagramに挙げているのだけれど、山の斜面に咲く小さな白い花、光を反射する花の青、太陽の光が透ける葉の緑、風に揺れる木々の群れ、木漏れ日、神技としか思えない造形に出会うと、日々の流れに任せてぼーっと生きている自分の眼が覚めるようにハッとさせられる。生きていることの根源的な喜びを思い出させるような透き通った刺激。人間は、美しいものを見たいと思うようにできていると思うし、美しいものは人が生きる理由なんだと思う。

死ぬ時、自然の中にある美しいものを見られたらいいなと思うし、それが叶わないならば、まぶたの裏に美を見ながら逝きたいと思う。


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