余白時間の必要性

こんばんは。

突然ですが、私は”時間割で動くこと”が大得意な人間です。
(この”時間割”のイメージは、もう学生の時そのままの1コマがXXの時間、で間違い無いです笑)

平日なら朝起きてから夜ベッドに入るまでのほぼ大体の行動が、1コマXXの時間になり、私の頭の中でそれが常に構成されて自分でそれ通りに動いてる感じです。(プライベートな時間は大体決まったルーティーンで過ごすのであまりコマの変更とかは無いですが、会社で仕事する時もデイリーの仕事なら大体何分で出来るという目安を持っているので突発的な仕事が来ても優先順位通りにそのコマを組み換えるorどの仕事の残業のコマを何時まで、と増やすだけ。毎日のルーティーンが分かりやすいストーカーや殺人犯に狙われやすいタイプ笑)

ちなみにそれが苦痛だとも、その時間割に支配されてるとも全く感じてなくて、ただそれが習慣というだけの感覚です。(その時間割に誰かや何かが割り込まれても、どんどん組み換えるだけで、特に怒りや不安の感情はでてこないので強迫性的なものでは無いと信じたい・・・苦笑)

休日も、予定があればそれと掃除洗濯買い出しを軸に時間割が頭で組まれます。
なので、平日のランチの時間や家に帰ってからもメインは何をすると決めていたり(ブログサーチ、手帳時間、Podcastを聴く、英語でニュースを観るなど)、休日も夜は平日と同じ23時前には寝ようとか美容時間とか時間割を組んでいると必然的にそれに合わせて常に時間割が更新されながら行動しているという・・・

そんな私なのですが、ここ数週間、会社が変わって家に帰るのも早くなったことや、プライベートも本当にやりたい事以外はちょっと手放してみようと、休日に予定や”やるべきタスク”を入れるのをやめて日曜は全部真っさらな日にしたり、夜もちょっと全体のコマを短くして、ベッドに入ってから(そこで私の時間割は目標達成して満足しているので笑)23時までを余白の時間としてとる事を注力し始めていました。

そうすると、今まで以上に、頭の中で私ってこうでいいんだっけと自問自答したり、手元の携帯でもっとリサーチをしたり、会社の業務に関してもっとこんな効率化やリスク削減のアプローチしたら!?とふと浮かんだり、昼間や電車に乗っている間などで見たTwitterの誰かの呟きやブログ記事を読んでふと思った事を何でそう思ったんだっけ!?と思い返して深堀したり、自分の本心や起きていることにもっと気付きました。そして、その余白の時間が頭の時間割組み換えは休んでいるしついでに心の余裕にもなるのか、自分が持っているもの・今ある環境が幸せだなぁとかありがたいなぁとたまに噛み締めてから寝ることもあり、”今”、そして”満足度or達成感”に意識が向くようになった気がします。

自分に無いもの、足りないものを充足させるために大きなパワーを向けて行動することも個人的には大好きなのですが、それは心や頭の余裕が無くても出てくるし動けるし、他人と比較して結果的に違った方向のパワーを出してしまう時も多々あります。

頭と心の余裕があるからこそ、深く考える・調べる・気づくことがあり、それがもっと私の気持ちの充実や、少しずつ積み重なる幸福感に繋がっているんだと思います。

そしてその余裕は、時間割通りに動くため常に時計と1コマXX時間を気にしちゃう私の習慣や性格からは難しくて、本当の意味の”何にも囚われることのない時間の余白”、から生まれていっているなと感じています。

こういう気づきから、時間割外の余白、を今後日々少しずつでも意識する人生にしたいなと思っている最近でした。
(ちなみにこの投稿も余白時間になり、じゃあ頭の中の気づきを言語化してみようかな、とだいぶ言葉の選び直しをして出来たものです。でも言語化ってやはり大事だと書いて実感する・・・)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?