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未来のために、うなぎを食べない。

うなぎを食べない、未来のために。

うなぎに赤いリボンがかけられそうだと、まことしやかな噂を聴いてから、うなぎを食べていない。

関西で生まれた私は、カリッと焼かれたうなぎを食べて育った。炭火で焼かれたうなぎの端が、かんばしく焦げたところの香りと食感だけで、白ご飯三杯は、ペロリといけちゃうね。

お酒の味を覚えてからは、もっぱら冷酒とあわせるのを好むようになった。浴衣でもきてさ、畳のうえに座ったりしてさ、年季を感じる机のうえに置かれた織部の長角皿のうえに鎮座なされる威風堂々としたうなぎの姿よ。
こってりとした潤とした旨味は、舌のうえにてゼラチンのように溶ける。その旨味をキリリッと冷えた日本酒で洗いながす。

たまりまへんな。

関西から飛びでたときに食べたうなぎにはビックリさせられた。うなぎの身が、はちきれんばかりにふくらんでおりビックリさせられた。
うなぎの端もあまり焦げておらず、お箸がうなぎの身にしっとりと沈みこむじゃないか。そして、うなぎの身がほっくりと割れ、その高貴な白い身からは、うどんのような白いうなぎの湯気がたった。白い湯気は、うなぎのたれの色にそまり鼻をくすぐってくれた。
うなぎの身とたれは、舌のうえにのり、そして淡くとけるように消えていく。淡い旨味といったものをはじめて体験した。

そして、名古屋のひつまぶし、これまたビックリさせられたね。ひとつの食べ方しかないと思われていたうなぎ。一品にていろいろな食べ方をできるなんて、ほんとにビックリさせられたよ。
しめのワサビをいれて出汁にて食べるうなぎ漬けね。うなぎの絵に目がはいったように、いま、私の舌と鼻、胃をつかったキャンパスにて、うなぎの味が画竜点睛したとしみじみと感じさせられたもんだよ。

どこかの料亭で食べた白いうなぎ料理。つまり白焼き。ビックリさせられたねぇ。うなぎの色ってさ、黒いものだと思いこんでたよ。うなぎのコペルニクス的大回転がおこったね。
そういえば、うなぎの皮は黒いけど身は白いなと思いだしたよ。蒸されたばかりのうなぎの黒い皮はむっちりと若さがはじけていたねぇ。肉厚の花が咲いたように、うなぎの身は白さをほこっていたね。
食べ方がわからなかったので、そのままパクリといったのさ。そしたらさ、うなぎは濃い味がするという先入観にこりかたまっていた私は困惑したね。あれ、味付けをしてないと。

味がないと思いながらもうなぎを食べているとさ、うなぎの白い身からコンコンとはいでてくるんだよね、透明ともいえるはんなりとした旨味がさ。おしとやかともいえる清潔であり、清純であり、なんの手もくわえられていないうなぎの至純な味を思いだすと、目がとろんとしてきて、口からヨダレがたれてきちゃうね。

そんなうなぎの記憶のもつ私であるが、うなぎを食べていない。

うなぎが絶滅しそうだと聞いてからは、自分のお金をだしてうなぎを食べなくなった。

うなぎがどれだけのペースで減少しているのか、どれほどの期間で絶滅するのかは知らない。しかし、私がうなぎを食べないことで、未来のだれかにうなぎの味と香りをのこせたらと思っている。

スローフードやらフードロスなどなど、横文字の言葉がはやってはすたれ、そのときどきだけ環境改善にとりくんでいます感をだしながら、いざ、イベントがくると、大量のケーキや巻きずし、そして、うなぎを大量に作り、捨てるニュースをみるたびに、おいおい、と思っちゃうよ。思いませんか、思いますよね。

スローフードやらフードロスなど色々と忘れやすい日本人にもかかわらず、土用の丑の日のうなぎを食べることはけっして忘れない、もうこれは、平賀源内の呪いではと思っちゃうよね。

うなぎの産卵場所を日本の研究チームが見つけたニュースを読んだね。産卵場所がわかるとうなぎを保全したり、養殖できる可能性があがるんだってさ。やるじゃん、日本、と誇りたかい気持ちになったもんだよ。

昆虫食より、うなぎにお金を投入しませんか。呪いともいうべきうなぎの未来をまもるために。
うなぎが絶滅したら、未来永劫うなぎを食べられなくなるんだぜ。リョウコバトもドードも絶滅した。味わえなくなるんだぜ。

スローフードやらフードロス、絶滅などなどエラソウなことを書いてきたが、うなぎを食べない理由は、高いからだ。
買えないお金ではないが、高いのだ。そして、絶滅やなんやと結びつけて、うん買わないでおこうと自分を納得させるのだ。

二千五百円のうなぎの金額によろめきつつ、うなぎのキモが安いなと確認する。
そして、土用の丑の日の次の日にうなぎが安くなっていないか町をさまよい歩くのさ。だいたい徒労に終わる。

私は代用うなぎにて、うなぎの呪いともいえる煩悩と未練をたちきった。

ぷっくりとした身。コテコテのたれが焦げたかんばしい香りは、うなぎの香りそのもの。ゆっくりとお箸が沈みこむ身。ほっくりとしており、おしつけがましくない白い旨味も感じられる。

うなぎもどきなので、梅干と食べても大丈夫なのである。

ほかほかのうなぎもどきにピリリッと鮮烈な青い辛さのさんしょをふってやれば、もうお口のなかは、まったくうなぎだよ。

うなぎ漬けにしてやれば、うなぎもどきの枠をのりこえたうなぎの完の璧な香りと風味が器のなかに顕現しちゃうね。

うなぎもどきを作れるようになり、私はうなぎへの未練をたちきった。なによりもうなぎより安く作れ、そして、未来のために、俺は、うなぎを食べないんだゼ、と大きな顔をできる。

以上が、私が未来のためにできること、できることではなく食べないことだ。すこしお題の趣旨とはズレたが、問題ないだろう。

さて、うなぎの思い出、うなぎについて考えていることは書きつくした。ここらで筆をおこうと思う。

え?うなぎもどきの作り方を教えろって。

そうですね、未来のためにできること、うなぎもどきの作り方も書いておきましょうか。

うなぎもどきは、豆腐やはんぺんにて作るレシピがおおい。

豆腐やはんぺんでは、なんとなく、うなぎの身の風味とよぶには、モノタリナイように感じられた。そこで、カッテージチーズにてうなぎもどきを作る。

カッテージチーズは牛乳を沸騰させ、お酢をくわえ、ザルに清潔なずきんをひき、ザルのしたには分離したホエイをうける器を置いておく。ザルにお酢をいれ沸騰させた牛乳をいれカッテージチーズと液体を分離させ作る。

おおよそ500ccの牛乳とお酢を大さじ2杯ほど用意すれば、一人から二人を満足させるうなぎもどきを作れる。

カッテージチーズだけでは、ぼそぼそとしているので、粉と混ぜあわせる。粉の種類なのだが、強力粉をつかえば硬い食感に、薄力粉をつかえば柔らかい食感になる。また、米粉をつかえばグルテンフリーなうなぎもどきになる。

海苔のうえにひろげられる粘度にするために、日本酒をくわえねりあわせる。海苔のうえにひろげられる粘度になれば、うなぎっぽい大きさの海苔を用意しカッテージチーズをぬりつけていく。ぶあつい身が好きなひとは厚くぬるとよい。フォークなどでスジをつければ、うなぎの身の見ためにちかづける。

カッテージチーズの水分にて、海苔がふにゃふにゃになる可能性がある。海苔がやぶれないように注意し180℃の油にてカリッと揚げる。

表面が薄茶色になり、カリッとしてきたら油よりひきあげる。油で揚げなくてもよいのだが、油で揚げたほうが、味と香り、風味が厚く強いものになる。

うなぎの本体は、たれ、というアンケート結果がでた。

つまり、うなぎもどきをうなぎのたれで焼けばうなぎになるわけだ。油をひいたフライパンにてうなぎもどきを焼く。茶色いごま油では風味が強いように感じられた。透明なごま油やサラダオイルをひくとよいだろう。

うなぎのたれをかけつつ、うなぎもどきを焼く。できるだけ濃い色に焼きあげるとよい。なぜならば、色が濃くなればなるほどにうなぎ感がますからだ。そして、うなぎのたれを使えば使うほどうなぎにちかづくのである。

うなぎの本体は、たれであるという結果がでたが、私は否であると伝えたい。

うなぎの本体とは、うなぎのたれが焦げたものなり。

こうばしいよりも、焦げた香りがあるほうが、うなぎ感がます。

うなぎ好きの私を満足させるうなぎもどきのレシピ。

ひとりでもおおくの人がうなぎの味にふれてもらう未来のために、私はうなぎもどきを作り食べる。

#未来のためにできること

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