ジーニーが欲しいのだけど

たったいま、映画アラジンを観てきた。
天候が最悪なのにも関わらず、満席だった。

満席というプレッシャーに負けることなく、
映画は最高だった。

ではなにが最高だったのか?
声を大にして言いたい。

ジーニーが最高だった

今回のアラジンを観て確信した。
私はディズニーキャラクターの中で
一番いっっっっっちばんジーニーが好きだ。

幼少期からアラジンのジーニーやライオンキングのティモンとプンバァが好きだった。

でもそれは、ただおもしろくてお調子者という
理由だけで彼らのことを好きなんだと思っていた。

でも、大人になるとわかる。
いや、大人という表現はよくない。
ディズニーにときめいている間は、
誰しも純粋無垢なこどもなのだ。

話がそれた。

ジーニーの魅力はお調子者だけではない。
その魅力とはなにか。

そう、絶対的な味方だということだ。

ランプをこすって出てくるジーニーは
どんな立場の人にも味方になってくれる。
(彼なりにも思うところはあるようだけど)

絶対的な信頼と安定感。
アラジンとの相棒感。
正直たまらなくアラジンが羨ましいと思った。

大人になると、
いや、大人じゃないけど、
便宜上大人になると、
自分がいかにちっぽけな存在かよくわかる。

こどもの頃描いていた夢や理想を
ずっと追いかけ続けられるほどの
勇気やパワーは無限には湧いてこない。

毎日の仕事ややらなければならない生活上のタスク、安定してそうで実は脆い人間の中で生きていかなければならないこと。
自分だって本当は脆いということを突きつけられている。

そんなたまらなく不安定な生活に、
安定の塊のようなジーニーがいたら
どれだけいいだろう。

「今日こんなことがあってさ、もういやだ…」
と言っても
「悲しいことは忘れて踊ろうよ!!!」とか
言ってきそうだ。
…ジーニーへのイメージが陽気なインド人止まりな私を許してほしい。

ただ本当にへこんだときは何も言わずに側に
いてくれそう。そんな安心感。

これを言うと、恋人じゃ事足りないのか?
という疑問点も出てくると思う。

でもそうじゃない。
恋人だって人間だ。ずっと私の味方でいてくれる保証はどこにもない。
もちろん、好いてもらえる努力はするけども。

それからジーニーとの間には、
家族愛のようなものは芽生えるにしても、
恋愛的感情を持つことはない。
つまり、恋愛のいざこざで疲れることは
絶対にないのだ。

書けば書くほどジーニーへの想いが
募っていく。
先程恋愛的感情を持つことはないと書いた
ばかりだが、これはもう恋と呼んでも差し支えないのではないか。

ジーニーのいない世界を今日もわたしは
生きていかなければならない。
頼むから道端にランプでも落ちていないかな。

#エッセイ
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#映画
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