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慣れてしまうと・・・(前編)


習慣というものについて、2回に渡って書きたいと思います。
今回はその前編です。・・・(前編・後編は別の内容です。)


人間が持つ能力のひとつに「慣れる」があります。
これは「諸刃の刃」といえる能力であるから、扱いには注意が必要です。
簡単に言うと「何度も経験するとそれを覚える」、ということです。


でも、覚えることにより「これなら簡単」と思うことは
その人を「あやまった考えに導いてしまう可能性もある」ということ。
その考えをするということで、物の見方がかわる。
それゆえ道をあやまることにもつながります。


人と話すとき「これは、こうだからな」と言ったとします。
それを聞いた人が信じてしまうと、それが、もし違った場合には
「君はこうだと言ったが、違ってるじゃないか」と言いたくなる。
互いの気持ちに、不安な要素が生まれる可能性も出てきます。


慣れても、人にそれを言わなければ良いのですが
人はそんなに自分を制御できるものではありません。

どこかに生まれる「自慢したい気持ち」になどによって、話してしまい
それが原因でトラブルにつながることもあります。

「口は災いのもと」とは、こういうことなんですね。


慣れてしまうことで、災いを招くことはたくさんあります。
それは、ボクが例えをあげるより、自ら気づいて考えるほうが良いと思うので、あとひとつくらい書いて、そのあとは各自に任せます。



ひとに対する評価・・・この場合はどうでしょう。

過去に出会った人を基準に考える、それしかできません。
それ以外では、テレビなどで見たケースを基準にするくらい。
その人が、優れた考え方をできる人なら違っても、きますけどね。

でも、そんな人は数えるほどしかいないのではありませんか?
どこかでテレビの悪影響などを受けてしまっていて
独自の考えができず、こうだろうと考えるのも
過去に出会った人、過去にテレビで見た人を規準にする。



そういうのも「思い込み」といえるでしょう。
それが、当たり前とされてしまっているのが現代の世の中です。
誰も疑問を感じない。それどころか、そう考える人を否定する。



「個性重視の時代」という言葉は飾り物。


マスコミがいい気になって、伝えたがる言葉でしかない。

それを聞く人は、その言葉の持つ「癒し」に踊らされてるだけだと・・・
ボクは、そう考えたりもします。反論できますか?



ボクは、決して頭はよくはない。ただ気づくだけの男です。
それでも何も気づかない人には、何かを与えられているのでしょう。
それにすら、気づかぬ人もいますけどね。



・・・前編はここで終わりにします。
後編がいつになるかはわかりません。

期待して待っていてくれる人が、いてくれることに期待しています。
時間をとらせてしまいました。すみませんでした。
では・・・

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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。