運転するということ

老いも若きも運転免許を所持する時代である。

運転が下手な奴も運転マナーがなってない奴も免許だけは所持している。

ボクは「車の運転が楽しい」というのが、わからない。

それは、ボクが右手の指が、親指にしか関節がないので、うまく運転できないからかもしれない。(免許は返納しました。)

車を自分のおもうように操ることができたのなら、それは楽しいことだろうとおもうけど…。

でも、「高校を卒業したら、運転免許をとる」ことが常識のようになっているけど、はたして本当にそれでよいのだろうか?

とくに女性には、運転に不向きな人もいるとボクはおもう。

車にぶつけるのと、人にぶつけるのでは、どちらが「やばい」かを知らないのか?と思えるような運転をする女性もよく見かけるのだ。

もちろん、人をはねるほうが「やばい」わけだけど、ボクが歩いていても幅寄せしてくるドライバーは、女性が多いのだ。

たしかに、車にぶつければ自分が怪我をする危険性はある。
が、人にぶつければ、一生後悔することになるかもしれない。

そんなことも考えられないなら「運転をする資格はない」と、いえるのではないだろうか?

「もう一度、自動車学校で学んでこい」と言いたい。


ボクの従兄弟が「自動車学校は運転の仕方を教える場所。あとは、ぶつけたりして運転というものを覚える。」などといってが、その間に人身事故でもおこしたらとボクは考えるのだが、みなさんはどう考えますか?

さらに、「あおり運転」をする奴や、老人などによる逆走も問題になっているのが、現代の日本なのである。


だから、自動運転装置が装備された車が開発されたのだろう。

でも、誤作動が起きないとは、いいきれないから、たよりすぎるのも問題があるのだろう。

一番よいのは「免許は限られた数しか発行しないようにすればよい」のではないか?という意見を残してボクは退席します。




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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。