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お念仏ブックレビュー①『心に響くことば』福間義朝著

法語カレンダー2021年(令和3年)
『心に響くことば』福間義朝


「信心というのは 凡夫が 仏さまと同じ命を共有するという出来事」
「老いが、病いが、死が 私の生を問いかけている」
「今日である あること難き 今日である」


はっと気づかされる深い味わいのそれぞれの法語と、それについての福間先生の法話が13編掲載されています。幅広いジャンルからの法話に、感情が揺さぶられます。私にとって福間先生の法話そのままの声とリズムで脳内再生されます。

現代に生きる中で、仏教の大切さ、南無阿弥陀仏と手を合わせることの大切さがぎゅっと詰まっていて、大変心に響く法話です。

お念仏のすくいに生きるということを読む度に、新鮮な気持ちで聞かせていただきました。

2月の法話は、特に今の私の胸に鋭く響きました。
「念仏者の人生は まさに 慚愧と歓喜の交錯」
これは梯實円和上の法語です。

27歳の時の福間先生に門徒総代さんが赤裸々に戦争体験の話を伝えられるのです。
「妻にも子にも言っていないことだけど、ご住職には聞いてほしい」と戦争での体験をお話になるのです。
戦争が終わって、誰にも言うことができない自らが犯したことを胸に秘め生活されるその方に、両親がお寺に行ってお聴聞するように勧められたのです。

「お聴聞はつらかったです」と総代さんは言われます。
「でも仏法を聞き続けていくうちに、いつとはなくこのように胸に残るようになりました。阿弥陀仏は決して私を見捨てない。こんな卑劣で最低な自分だけど、自分でこんな自分を見捨てても、阿弥陀仏は私を決して見捨てないと」 涙を流し嗚咽しながら、話されたのです。

「今、人を殺めたこの両手が合わさり、銃剣で刺す時に相手を罵倒したこの口から、南無阿弥陀仏とお念仏が出ます。もう言うことはありません。私こそ地獄へ行くべき身です。でもこんな私を見捨てないという喚び声に出遇って、もうそれだけで充分です」

福間先生は「私とてその時代に生まれていれば、戦争に行って同じようなことをしていたかもしれません」とおっしゃいます。
そして「総代さんのような方が拠り所とされた寺の住職をやっていくことが、荷が重すぎて恐くなったのが正直な実感でした」とも。
福間先生にとって、その総代の言葉こそが、40年たっても心に響く言葉だったのです。

お聴聞は癒しではありません。私を麻痺させていくのではなく、聞けば聞くほどに逆に我が身があきらかになっていくのです。だからこそ聞くのが辛いことがあります。
先生の言葉で言えば、「自らの化けの皮をはがされていく」のです。

私はあと数日で42歳になります。気づけば、すでに中年まっただ中です。お寺、家庭、地域社会にあって、これからますます踏ん張り時の世代です。
しかし同時に、これまで積み上げてきたものによる、自ら生み出すプライドや世間体、また承認欲求から、ますますがんじがらめになりそうです。
別に何があるというのでもないのですが、自分でも訳も分からぬ焦燥感を感じ、押しつぶされそうになるのです。そんな自分を立てたいという思いに冷や汗を感じることがあります。皆さんはいかがでしょうか?そんな気持ち感じられたことはありませんか?

和氣良晴先生の「如来より最も遠い身が 実は最も近い身でありました」という法語と、それについての法話が響きました。

「イダイケはお釈迦さまの法を聞くうちに、仏とは最も遠い世界へと、どんどん落ちていきました。(中略)どこへ落ちていくのか?それは阿弥陀仏の胸の中へと落ちてゆくのです。阿弥陀仏からどんどん遠く離れていると知らされることが、ひっくり返って阿弥陀仏のお慈悲に包まれていくことなのです。(中略)

浄土は落ちていくところです。私の中には何もなかったと、醜いゴミの塊であったと知らされた時、ストンと阿弥陀仏の胸の中に落ちていくのです。なんと、如来さまより最も遠い身が、実は最も近い身であったのです。」


思わず南無阿弥陀仏とお念仏こぼれました。そしてまた、ご法話をお聴聞したくなりました。これから事あるごとに何回も読み直すと思います。

心に響く


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