挑発(2)

たとえば数のアイデンティティは、数そのものである。

故郷喪失。この惑星規模で起きている今日的事象は階級すら易々と貫通してしまった。上は宰相、下は歩道に寝転んでいる乞食にいたるまで、そのことごとく、虚ろな現代人のなれの果てとして現前している。

故郷喪失の条件とは、第一に都市の発達である。19世紀フランスの第一帝政期に始まったとされる鉄骨建設。その開発と技術革新の過程と、人類が故郷喪失する過程とは軌を一にしている。

とめどなく自己増殖する都市の全面化。この循環の無限のごとき構成原理が齎すことが、主体の掠奪に他ならないことを人々はしばらく理解できなかった。

歴史的事象は、そのはじまりにおいて本質がもっとも色濃くでる。

都市の「循環の無限」の最初の目撃者は、ベンヤミン(Walter Benjamin)である。彼がこの局面を目の当たりにした当初、約100年後に訪れたディストピアを想像しえただろうか?

浅田彰はベンヤミンを肯定的に評しており「悲観」の大家アドルノと対比し「楽観」の代表格と見なしている。

その人物の人格は、ある一局面での”ふるまい”に確かに出る。

周知のごとく、この優秀なジャーナリストは、友人たちの度重なる警告にもかかわらずパリ陥落直前まで現地に滞在し、仏の”奇妙な敗北”をおのが目でしかと見届けるまでその場を離脱することを自ら禁じた。もし一寸たりともこれを犯せば大事成らざるがごとく。

その後、ナチスから逃れるために欧州を彷徨い、結局スペイン国境の町で自裁した。同伴者たちの証言によると小役人が賄賂目的で氏を「ナチスに売り渡すぞ」と嚇していたとのこと。

もしそれが事実だとして、である。かりに「楽観派」の代表と呼ぶに足る人物であるとすれば、目に前にままならない現実があったとして、また、たとえ耐えがたいような苦難の途が避けがたく待ち受けているのだとしても、

とりあえずその日だけは、きれいさっぱり忘れて、ぐっすり眠るものではないのか?

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