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小説家とIQ

君らIQの話題ほんとに好きね。

以前、某掲示板で「作家とIQ」の関係についてのスレッドを見たことがある(今探したが、もうない)

俎上にあがっていたのは筒井康隆、中島らも、谷崎、芥川、太宰などで、作家たちのIQとその根拠が列挙されていた。もちろん限界集落と化していた某掲示板における”嘘を嘘と見抜ける人”のための文学板のお話である。けれども、やっぱり作家のIQを気にする人は多いのかもしれない。

Googleを探索しているといろいろな情報が目に飛び込んでくる。

各情報にはソースが示されておらず、いまいち信用できぬもので、貼りつけてよいものか判断つきかねる。知りたい方は勝手に検索してもらうことにするが、

なんでも、カポーティはIQ200越えだった。
キッシンジャーは陸軍入隊時にIQテストを受けた結果、CIAの前身となる戦略情報局にスカウトされた。
サリンジャーの学生時代の記録ではIQは平均値だった。等々。

有名作家の知能に関するあれこれが、いろいろ出てくるものである。

あと、作家ではないが将棋の渡辺明九段はIQ98、羽生、森内の両永世名人もIQは平均以下、云々。こうなってくると、もはやIQって何なんでしょうね?という気がしてくるが。

安部公房や筒井康隆、スタニスワフ・レムが、知能において「も」天才だったことは、よく知られている。くわえて彼らに共通するのはシュールレアリスム感覚であろう。

なかんづく安部公房(熱心な読者からはコーボーではなくキミフサと呼ばれているらしいですね)は、いつもシュール、性懲りもなくシュールである。作家はIQが高いほどシュールに傾倒する傾向があるのだろうか?

いささか興味をそそられる話題だが、いかんせんソースがない(作家のIQを調査した研究はありそうなものだけど、ぜんぜん見つけられません)ので、いくら考えてもわかるわけがない。

ただ、IQが高いってことは、脳内情報の抽象度が高い(by 苫米地)ということで、そうなると、おのずと非現実的な文体になりがちなのかも。そういうことは言えるかもしれない。

IQが低い、あるいは平凡な作家はどうなのだろう?

むろん「作家の○○のIQは低い」だなんて公開情報はない。かわりといってはなんだが「低学歴な」作家で名を挙げるとすれば、ディケンズ、バーナード・ショー、ジャック・ロンドン、松本清張、山本周五郎、あたりだろうか。

ディケンズはイギリスで見下されがちであると、なにがしかの文芸評論家の本で読んだことがある。のみならず、しばしば、その政治的著作は愚昧さに満ちていると言われる。

ディケンズの才は、人間の観察力や洞察力にある。シェイクスピアにも匹敵するだろう。しかし、そのような実地的、具体的なものの見方を社会や政治に適用すると問題が生じるということだろうか。

ディケンズに限らずだが、たたき上げ系の作家はえてしてノベルの才能に全振りしているように思われる。個人的にIQが低そうな作家というと、まっさきに水木しげるや中上健次が思い浮かぶが、やはりこの推論の範疇を超えていない。

芥川龍之介のIQはきっと高かったろう。もはや顔でわかるレベル。日本文学史上もっとも器用な作家である。詩に随筆に時事に論争にと、なにを書かせてもかっこいいが、ごく普通の人の心情をありのままに描くことだけは不得手だった。そんな彼が生前最も心酔していたのが、私小説の神様である志賀直哉。さもありなん。

三島由紀夫も似たようなところがある。彼の最高傑作は「仮面の告白」しかありえないが、自身のことを書いているからこそ傑作なのであって、他人、とくに普通の人を描こうとすると、例の理屈や説明をゴテゴテと塗り重ねる仕儀となる。しかしこれが「青の時代」や「金閣寺」の主人公のように、ちょっぴり異常な人物となると、えもいえぬ趣を醸しだす。

一般人を寄せ付けない文芸ファン御用達みたいな小説もよいが、2010年代以降の文学はとかくわかりやすいことが一番の美徳となっている。小説は一部のマニア向けの高尚なものではなく、ネット的大衆に訴えるものでなければならないのだ。

最近の頭がいい人は、小説家なんぞよりも、ユーチューバーになったり、ネット論客になったりするのかもしれない。

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