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ロールモデルを持つと「間違いさがし」で苦しむ時がある。という話

原作があるコンテンツは「間違いさがし」になりがち


ボードゲームデザイナーのミヤザキさんのnoteを読みました。


原作があるコンテンツを別コンテンツにすると、原作の情報をママ使用するわけにはいかず、制作時に「どこの要素を捨てるか」といった取捨選択をせねばならない。


そして原作のファンはどうしても捨てられた要素に目がいってしまい、別コンテンツそのものを快く思えなくなってしまう。けど、製作者の取捨選択にはきちんと理由があって、そこに目を向けるとコンテンツの楽しみ方が広がるよ〜と優しく教えてくれるnoteでした(もちろん個人の感想です!)。



最近、映画『キングダム』を奥さんと観に行ったんですが、感想戦で「原作がある映画は間違いさがしになっちゃうから難しいよね」と話していたのでタイムリーでした。

実際、僕は映画を見ながら「え〜羌瘣もう自分の過去を話しちゃうの?まだ打ち解けてないのに不自然じゃない?」とか「え〜朱鬼と麻鬼のくだり、全カットやん!」とかを考えながら観てしまってました。おもしろいとこを探す加点方式じゃなくて、減点方式になってたんですよね。


ロールモデルをもつデメリット


で、ですよ。これはコンテンツだけではなく、人生においてもいえる話だと思ったんですよ。例えばロールモデルってあるじゃないですか。自分の理想の人。ロールモデルを持つことは悪いことではありませんが、そのロールモデルと自分を比較して「なんて自分はダメなやつなんだ」と自分を責めてしまう時があるんですよ。


この現象は、原作があるコンテンツを別コンテンツにする話と同じ構造です。つまり、ロールモデルがあるから、ロールモデルと自分の「間違いさがし」をしてしまってるんですね。


コーチングという対話のサービスを提供しているのですが、この「間違いさがし」をして苦しくなっている方を見かけるときがしばしばあります。ロールモデルはなくても、「完璧な自分」が脳内で作りあげられ、それと比較し自分を責めて苦しくなるパターンもあります。


「間違いさがし」をただの「発見」にするために


自分の悪いところを探す「間違いさがし」をやめて、自分のいいところにだけ目を向けるといいのでは!?と思われるかもしれません。それはその通りなのですが、これがなかなか難しい。ですし、ポジティブは人に強要すると途端に凶器に変わる時があります。


じゃあどうすればいいか。いろいろやり方はありますが、一人でチャレンジできることとしては、現在の自分は自分のどういった意欲によって形成されているか、を考えるのがおすすめです。


原作があるコンテンツの話だと、「間違いさがし」をしないためには、製作者の取捨選択にはきちんと理由があることを知り、そこに目を向けることが大切、とお伝えしました。


そうすることによって、「あ〜ここを削ることによって〇〇を強調したかったんだな」といった想像が楽しめるし、答えが出なくても「この設定をなくすことによって、何を表現したかったんだろう」といった問いが生まれます。ロールモデルによって自分を責めてしまう方は、ぜひこれをやってみて欲しいんですね。


例えば、僕は人前で話すのがすごく苦手で恥ずかしくなってしまうんですが、これによって何を得てきたんだろう、と考えてみる。得てきたのか、だとちょっとポジティブが強い気がするので、何を避けようとしているんだろう、とかを考えてみる。


ダーウィンの進化論じゃないですが、今の自分は過去の自分のなにかしらの意欲によって形成されています。そこに注目してほしいと思っています。


ここがですごく大切なのが、でてきた答えに対して評価しないことです。これは良いことだな、とか、悪いとこだな、とかを考えない。ただひたすらに「こういう自分がいるんだな」と発見し続けることが大切です。そうすることによって、今の自分をフラットな視点で見つめることができ、自己受容へとつながっていきます。めちゃ難しいんですが、たぶん自分を大切にするってのはこういうことかな〜と思っています。


以上です! なんとも抽象的な着地になってしまい恐縮でございます。あ、これをやってるときに気分が悪くなったらすぐにやめてくださいね。ご機嫌に適当にやっていきましょう。ではまた!



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