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-勝手にサラメシ#5(前編)- ”人生最期の一食”をつくる仕事


おかげさまで前回の記事が大きな反響をいただきまして、1週間で1万ビューに迫ろうかという勢いに、思わず「note、さては集計ミスか!」と疑いましたが本当だったようです。
読んでくださったみなさま、ありがとうございました。

さて、シリーズ第五弾となる今回の『勝手にサラメシ』は少しスタイルを変えて、「料理長への取材」からはじめたいと思います。

じつは先日、当院の調理師がとあるスピーチでこんな話をしていました。
「私たちは”人生最期の一食”をつくる仕事をしている。その気持ちを忘れないように食事をつくっていきたい」という熱いスピーチでした。

それを聞いて、遅ればせながら私も 
-そうか、慶友病院の調理師であることは、つまり人生最期の一食をつくる調理人でもあるんだな- 
としみじみ感じ入ったのです。

そこで今回は「”人生最期の一食“をつくるとはどういうことなのか」掘り下げて聞いてみたい、ということで料理長にお話を聞きに行きました。
料理長、「勝手にサラメシ」に二度目の登場です。

ちなみに一度目の登場は、#2の記事で「美味しい天丼の作り方」を教えてくれました

そしてさらに、この『勝手にサラメシ』シリーズのテーマである「職員食」についても。
慶友病院の厨房は、なぜ患者様食だけでなく「職員食」にこれほどこだわっているのか、そのワケを聞きたいと思います。
ちなみに、この日のメニューはこちら。

なんと『牛バラ肉の赤ワイン煮込み』

たしかにこの日は特別食だったとはいえ、それにしてもこだわりが“過ぎる”!
後ほど触れますが、大変美味しくいただきました。

”人生最期の一食”をつくるとはどういうことなのか


松野:「私たちは”人生最期の一食”を作っている」とはどういうことなのか、改めて聞かせてください。

料理長:私たちの病院は、超高齢の患者様(平均年齢が90歳を超える)が生活をされる場所です。
ご年齢的にはいつ状態が変わってもおかしくない。
お元気そうに見える方であっても突然、ということもありうるわけです。

つまり、いまお出しした食事が、もしかしたらどなたかの❝最期の一食❞になるかもしれない。
そういう仕事をしているということです。

松野:改めてそう考えると責任をぐっと感じますね。

料理長:そうですね、責任はありますが誰にでもできる仕事ではないという喜びもあります。
一流ホテルや三ツ星レストランのシェフであっても、誰かの❝人生最期の一食❞をつくることはなかなかないはずです。
食事で喜んでいただくことが、調理のプロフェッショナルにとっての使命だとすれば、「人生の最期」に喜んでいただける食事を提供することは、ここだからこそできる仕事だと思っています。


松野:少し突っ込んで聞きますね。”人生最期の一食”をつくる責任や使命を感じながら仕事をすると、具体的に何が違うのでしょうか。

料理長:掘り下げてきますねー(笑)。
そうですね、まずは純粋に「おいしいものを作りたい」という思いは強固になりますよね。
本来、調理師であれば「おいしいものを作りたい」は本能のようなものだと思いますが、それでも予算、時間、機材、オペレーション、あらゆる条件が加わることで、どこかでラインを引く瞬間がある。
おいしいものを作りたい、出したい、でも・・。となる、その「でも・・・」のラインで安易に妥協しないかどうか。

だって、簡単に妥協して出したものが、どなたかの人生最期の一食になってしまったら、それは職責を果たしたとは言えないですから。

松野:確かに、そうかもしれませんね。でも・・・もう少し突っ込んで聞きますね。
厨房で調理するみなさんにとって”人生最期の一食”を作っているということは、頭で理解していても、実際に肌で感じられることなのでしょうか。

料理長:そこですよね!厨房というのは(衛生上の理由もあって)、患者様どころか他部署のスタッフが立ち入ることもほとんどない、調理師が外に出ていくこともない。
だから、提供するお相手の方と直接接する機会が持てない・・・という関係になってしまいます。本来なら。


松野:本来なら?

料理長:そうです。でも、この病院の場合はそこが少し違います。例えば「病棟内調理」という、私たちが出張して患者様の目の前で調理する機会があります。
その時は、私が調理する姿を患者様に見ていただけるし、私たちは患者様が召し上がる様子をまさに目の前で拝見できる。
わき目も振らず黙々と召し上がる方、感想を直接聞かせてくださる方、様々です。

そしてもう一つ、私たちの病院にはスペシャルオーダーという仕組みもあります。
患者様のご状態が悪化して-もしかしたら最期の食事が迫っているかもしれない-そんなときに、召し上がりたい一品を教えていただいて、その方だけのために特別な食事を作ります。
いまならまだ食べられるというタイミングを見逃さず、いま食べたいものをお出しするというこのサービスも、慶友病院ならではだと思います。

松野:そういう機会を重ねて、調理師の皆さんも“人生最期の一食”をつくる仕事、を実感されているんですね。みなさんの活躍がよく分かりました。

ではなぜ「職員食」にもこだわるのか


松野:患者様の食事にこだわる理由は良く分かりました。
では、職員向けの食事「職員食」についても考えを教えてください。
職員食堂の昼ごはんに『牛バラ肉の赤ワイン煮込み』が出てきました。ちょっとこだわり過ぎ、と言われたりしませんか?

職員食堂でもこだわる

料理長:たしかに、かなり凝ったメニューでしたね。
でも、もちろん毎日ああいった料理を出しているわけではありません。
職員食は「日常」が大切。できるだけ飽きない、繰り返し楽しんでいただけるメニューの提供を心がけています。それでも、たまには「非日常」があってもいい、ということで月に一度特別食をお出ししているというわけです。


松野:以前に取材した調理師さんは、特別食の担当になると相当なプレッシャーを感じると話していました。
それに当然コストもかかると思うのですが、それでもやることのメリットは大きいですか?

料理長:それはもちろん。松野さん『牛バラ肉の赤ワイン煮込み』を食べてみていかがでしたか?

松野:もちろん、おいしかったです。
その日は、午前中からちょっとワクワクしますよね。
食べている時はもちろん、その前も後も気持ちが前向きになります。

料理長:そういう機会を提供できるのは、調理師として嬉しいことです。
それぞれの調理師が自分の得意ジャンルを活かして、職員の皆さんとコミュニケーションできる、これが職員食にこだわることの第一の意義。
そして二つ目は、調理師のためでもあります。「手を抜く」という行為は伝染します。例えば、患者様の食事は一生懸命作りましょう、でも職員の食事はそんなに頑張らなくてもいいですよ、という空気ができると、それはいずれ患者様の食事にも伝染していきます。

私たちにとって患者様は当然お客様、そして同僚である職員の皆さんも大切なお客様です。

"雰囲気込み"で楽しませる

松野:あ、ありがとうございます。
料理長:それがどこまで出来ているかはともかく、そうありたいと常に思っています。

厨房スタッフのみなさんの「こうありたい」という姿勢がよく分かるお話を聞くことができました。
料理長、ありがとうございました。


さて、今回の記事は思いがけず長編になってしまったため、前後編に分かれます。
次回、職員食堂でつかまえた職員さんは、病院職員としてはかなり珍しい「あること」を仕事にしている方です。
それでは続きは後編で。(後編は2月5日(月)公開予定)


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