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死ぬきっかけなんて、ネットでポチっと間違えてタップするのと同じくらい簡単でありふれているのだと久しぶりに気づかされて衝撃だったの
もうすぐ還暦だっていう私は父と母の子どもで、だから春に母が逝って冬になってもうすぐ父が逝ってしまうという時に届いた有名デパートの薄墨薔薇模様の包装紙に薄墨名前の熨斗付きの贈り物が届けられてそのすぐ後に父が逝ってしまった現実はいつだっていつだって私を痛めつける。 時間が痛みを和らげてくれるとしても、私はもう長いこと生きて来たから解決できる時間はもうない。だからずっと痛い痛い痛い。 そして、痛くても笑って冗談飛ばして仕事して生きて行かなきゃならないから、私は時に攻撃的になる。痛
インスタに書けないことあるの。いやいやインスタにうそ書いちゃってることあるの。何でって、多様性とか個性なんて黙殺される社会で生きてるから。うふふ。
たとえば本の感想とか。 インスタが備忘録みたいになってるから読んだ本載せてしまうのだけれど、基本私の本の買い方は装丁買いか好きな作家買いかのどちらかだから、読んだことのない作家の本はあたりまえだが読んでみなくちゃわからない。で、装丁買いして中身あれれ?だった場合でもなんか批判めいたことは書けない。つまりうそを書いちゃう=いい子ぶっちゃうのであります。 あとは頂き物とか。とりあえずお礼かたがた投稿するのだけれど、おいしい!とか、かわいい!とか、きれい!とかいう感想をブチ込むの
それって何のプレイよって思う先輩と新人の変なやりとりに思わず目を瞑って死んだふりしたくなることが度々あって「夢は定年退職」と心で呟くの。
2022年2月28日 定年退職に憧れる。憧れる。憧れる… ここ数年ものすごくしたいことは「定年退職!」「て・い・ね・ん・た・い・しょ・く!」 「あのっ!少しお聞きしたいことがあってっ!あのっ!お忙しいとは思うんですがっ!もしっ!あのっ!今日でなくてもいいんですがっ!お時間あれば…」 これでもかっていうくらい気を遣って、いや、気を遣って緊張して大先輩に話しかけている新人、という演技をしつつ話しかける若さだけでも十分可愛いそして大先輩より明らかに賢い(だから採用した)1年目に、
申請主義社会においては、知らないは死に直結する。受けられる社会保障があったとしても、誰も教えてくれない社会だからである。
母の葬式は仕事のイベントと重なって、でもそんなこと社会人ならよくあることだから何とかどっちもやり遂げた。いや、やり過ごした。 さっさと離婚したひとり親家庭という環境下で機動力と環境適応力と生活力とその他もろもろがそれなりに育った子どもたちはいい年になり、それら力を発揮していたから。 多忙で覚えていない日々は多忙のため過ぎてみればあっという間だった気がするが、その日々はまぁまぁ辛かった気がする。 生きるって辛さを塗り替える経験をし続けることなんだ、って気づいたのは20歳前だっ
絆って言葉にプチ嫌悪がある。だって絆は手かせ足かせにもなるつまり何があっても外せない切れない鎖みたいなもんだって知ってるから。でも、うちの家族の絆はジュラシックパークの恐竜が繋がれていた鎖くらいごついんだぜって自慢しようと思う。
綺麗で大好きなお菓子をかじるたびに何度も感動するみたいに食べるがごとく愛されていた16歳だったころ、その彼のどこからが私で私のどこからが彼なのかわからないほど一緒にいた17歳や18歳だったころ、あのひとは私で私はあのひとで、でも私はあのひとじゃなくてあのひとは私じゃないとちゃんと深くわかっている少し歪な愛を抱えていた19歳だったころを通り過ぎて、ほんの小さくどこかが欠けたらもう全部愛してなくなったのは20歳の夏だったと思う。 欠けたのが心だっのか、時間とか物質的なものだった