90歳がこの先も生きて行くということについて来年還暦のもと不良娘が考えてみた

2021年12月14日
病院にいる。10月に90歳を迎えた父がほとんど何も食べなくなって、それで眠ってばかりいて辛そうではなくて、というのなら老衰とか寿命なんだなと思えたのだが、顔が辛そうなのだ。

「痛いの?」と聞くと首を横に振る。
「痛くないのね?」と聞くとうなずく。
そうか、痛くはないのか。体力が落ちて体がしんどい、というようなことなのかな。と思っていた。
でも、明らかに、鳩尾のあたり、あるいはその脇のほうをさすっているときがある。辛そうな顔をして、だ。
胃がんで胃全摘出、腰椎圧迫骨折、大腿骨骨折と、晩年の父は入院続きであったが、すべて克服してここにいる。元の体が丈夫なのだ。というわけで、外科と整形外科には今も術後の定期検診に通っているが、内科のかかりつけ医がいない。

コロナ禍下、病院も受け入れ姿勢が消極的。90歳のご新規さんは歓迎されない。サ高住にいた3ヶ月の間に3回ほど発熱、うち2回は私が病院へ連れて行った。「90歳だからね、からだのあちこちが炎症を起こしているんだよ」そんな説明で解熱剤を処方されるのみ。
介護認定もされていて入浴の見守りなどに介護保険を使っていたはずだが、サ高住から出るときケアマネさんに、「あとは近くの事業所さんのケアマネさん探してください。あのへんだと○○とかありますかねぇ」と言われたきり。日本の福祉はこんなもんだ。と「はい、わかりましたぁ」と返事したものの、こちらも日々に忙殺され、まだどこにも電話をしていなかった。

都会でも田舎でもキャリアウーマンが一息つけるのは深夜である、と思う。
昼休みがない仕事をしている。給食の検食もする立場のため、もりもり口に詰め込んで飲み込むことを毎昼繰り返している。何年も、何十年も。
「あなたは胃が丈夫だねぇ」と息子によく褒められている。
深夜に対峙するのはパソコンかスマホの大小どちらかの画面である。

最初に見つけた訪問診療をしてくれるという小ぎれいなwebサイトにのメールフォームに書き込んで送信ボタンを押したが、何度か試みても画面が変わらない。送信されないのだ。次にまぁまぁ近くの訪問診療、訪問看護をしている診療所にメールを送信した。土日が入るから連絡が来るとしたら月曜日以降だろう。無事に送信できたことで少し安心して週明けを待つことにした。

家で看取るにしても最後は医者が診断しないと人は終われないのだ。どうしても医者と関わっておく必要がある。

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