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喪中から考える本質の大切さ

2024年になりました。
一つの区切りがスタートしたことで、
今年も色んな感情と共に生活していきます。

今日のテーマは、
「喪中では、なぜ年賀状ではなく寒中見舞いなのか?」
ということを考えていきたいと思いました。

2023年に、96歳になる祖父が亡くなりました。
49日法要というものがあり、
「本日で喪が明けました」
と言われました。

喪中というのは、次の通り、喪の最中。
「喪」の最中は、
故人の冥福を祈り、贅沢や祝いごとなどを控えて、
つつましやかな生活を送る
ということです。

喪が明けた状態なのに、
なぜ、新年の挨拶ができないのでしょうか?
不思議に思ったので、調べてみました。

まずは、喪中の歴史です。
実は、喪中が庶民に浸透したのは、
宗教上の理由ではなく、法律を制定したからだそう。

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉
彼が、生類憐みの令と共に服忌令(ぶっきれい)という決まりを
作りました。

綱吉政権は生類憐み令と服忌令の両者を同時に徹底させることで、戦国時代以来の人を殺すことが価値であり、主人の死後、追腹おいばらを切ることが美徳とされた武士の論理や、よその飼い犬を殺すなどの無頼行為のかぶき者の存在ともども、最終的に否定した。

世界の歴史マップ

殺生○→殺生❌という価値観の大転換を、
ルールで変えようとしていたことを知りました。
すごいことなんだなぁ!!

そんな服忌令を明治時代になって、
さらに細かく決めていったそうです。

制定:元禄6年12月21日(西暦1694年1月16日)
追加:元禄6年増補:元文元年9月15日(西暦1736年10月19日)
京都府伺:明治7年11月18日
太政官指令:明治8年1月7日(服忌令用方ノ儀京都府伺)

網際情報館

1694年に作られた法律を1875年に改正する。
なんとも不思議な時間の流れです。
そして、1947年に、なんと、服忌令は廃止されているようです。

つまり、喪中について決めている法律はないということ。
なるほど〜!と思いました。

喪中だから、新年の挨拶は控えるけど、
クリスマスをみんなで楽しんだり、
友達と誕生日会を開いてもいい
というのも変だなぁ〜と思っていたけど、

そもそも、喪中という概念自体が、
殺人が正当化されていた時代からの
大転換を図るためのルールという側面があったと知りました。

故人の偲ぶのは、個人の心の中で大切にしたいことだなと思いました。

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