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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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#仕事

ビジネスモデル崇拝で「仕事する」とか「お金を稼ぐ」とか

イヤイヤながらでも仕事をしていると「ビジネスモデル」という言葉に出くわす。 のことを指すらしいが、社会人になって15年が経った今でもあまりピンと来ない。そもそも「モデル」という言葉に重きを置ことする姿勢があまり好きになれない。 物事は、真似から入って、学びに変え、身につけ自分のものにしていく。そのためには手本・見本となる「モデル」は大事なのだろうけど、「そのモデルをなぞらってさえいれば、もうすべて大丈夫です」といった論調をこの頃は感じる。ネット広告で甘いささやきのように流

告知の告知

3月は、その背中を追いかけることしかできない。 この数年はずっとそんなかんじ。12月は師走(師匠といえども走り回る月)というけど、ぼくの中では年度切り替わる3月のほうがより師走である。ホントはちょっと先のほうまで早めに行き、後ろをふり返るくらいの余裕がほしいのだけども。 ちなみに、3月は弥生(草木が生い茂る月)だそうだ。せかせかして水を遣れてるのかが不安にもなるけど、そもそも種を蒔けてすらいないんじゃないかとハッとすることも。 「種を蒔く」ってのは、かんたんに言えば、「

どこ、だれ、なに、すべて移ろってゆくから。

ギリギリまでも物事を決めたくない性格だ。というか、優柔不断だから決められらない。なるべく広げられる選択肢は広げておきたい。閉じていくときにバシっと決められりゃあまあそれでいい。つらいのは目をやれば届くかもしれない可能性を閉じてしまうこと。 とはいえ、「決める」ためには「決めあぐねていること」をまず見つけておかないといけない。裏を返せば、いろいろ決めることがあったとしても優先順位の高い、最初の1ピースがなんなのかを見極めること。そいつが決まれば、あとのことがスイスイと決められ

せんべろお悩み相談室(地域で働く)

沖縄出身、東京を経由して鳥取に拠点を置いてから7年目に突入していた。ふり返るとあっという間だが、飽きっぽい自分が「アキナイイエ」と名付けた家で暮らしはじめたが、今のところまあ飽きていない(バランスをとるために外に出るようにはなったが)。20代地域を動きまくった頃のことを知ってる知人たちは、その様子にびっくりしてる。ぼくもびっくりだ。「地域の10年」という数字を意識してはいるので、残り4年でどう変化していくか、これはまだまだ生活実験は続く。基本、行き当たりばったりだけど、春から

会社は”コント”、個人は”漫才”、という「分人」の再解釈。

「分人」を自分なりのフィットすることばとして考え直してるところです。 20代のときの自分の仕事におけるモヤモヤの原因は、突き詰めていくとシンプルで、ただの「こだわり(と自意識)」であり、必要/不必要なこだわりと如何にして向き合っていくかの線引きだけだったように思います。 それが四苦八苦を積み重ねたのちの30代に入る前には、少しずつ自分なりに消化できるようになり(ある意味、割り切れるようになり)、複業的に働く自分のあり方のバランスが取れるようになってきました。もちろん、未だ

どの立場が物申してるのか

 「線引き」っての大切なんだよなぁ、と思うわけですよ。言い換えると、立場に合わせて「距離感」をどう調整していくかっていう話で、どここまで踏み込んで物を言うかっていう葛藤について。  同じ人を相手にするにも「友達」として付き合うのか、「上司/部下」あるいは「発注/受注者」の意識で付き合っていくのとでは、ことばの投げ方や立ち振る舞いもだいぶ変わってくる。  友達としてなら許せるけど、仕事の付き合いとしては許しがたいこともあって、言わなければいけないことを関係性上ちゃんと口にし

日々は「はじめまして」と「DT卒業」の繰り返しじゃないすか。

 なんとなくでも生きていれば「はじめまして」なんて幾らでもある。この「はじめまして」のおかげで日々の景色が移ろいで楽しめるし、逆に、新しい何かに適応していくために体力が必要でちょっと疲れてもしまう。ただ基本的には、その疲れは、そこでかける汗は、いい成分で出来ているとは思う。  ボクがこわいのは、年を積み重ねるごとに「はじめまして」とやってくるものを拒絶するようになること。それは、自分の変化力をあきらめ、過去の時代性と若さに恋い焦がれるばかりになったら、人間として終わりじゃね

ぶんさんの話

 ”文さん”という人ではなく、”分散”についてのあれこれ。  ①「表現」の分散 。最近聞いておもしろいなぁと思ったのが、「バントはよく音楽性の違いで解散する」という話に対して、「身近なところで、バンドを掛け持ちでやってる人がいるんだけど、そもそも音楽性の違いでぶつかることはない」という声があった。それは、「自身の試してみたい音楽的表現をバンドごとに仕分けていいるから」だそうだ。一つの場所ですべてを発散させようとするから、衝突し、別れることになる。  ②「生業」の分散。どれ

仕事づくりは、暇づくり

 先日の”憑かれ”について原因を考えてみた。いや、正しくは「考えてみた」という能動的なかんじでもなく、朝起きてトイレに行き顔を洗おうとしてたらふと「気づいちゃった」という自然発生的なかんじ。  最近は、「休む」という意識を持って仕事をしてなかったなぁ、ということである。自由業かつ地域で動くとなると、たしかに公私の境界線というのはわりと曖昧で、どこで働きどこで休むのかっていうのがごっちゃになりやすい。  休めるときに休んで、やれるときにやる/リアクション次第ですぐに動く、み

表情を視るために、立ち止まる5分。

 一息つく間をつくれるかどうか。その一息での脳内シュミレーションが場の質を上げてくれるような。  朝起きてからだらだらっとfacebookを眺めていたら、元ブルゾンちえみwith Bの「with B(ブリリアン)」の片割れ、現コージ・トクダが現役アメフト選手になっていたのを見つけた。  おぉ、そうなのか! とちょっとした驚きがありつつも、今じゃ芸能界を経てのセカンドキャリアの積み方も多様になっているから以前ほどの驚きはない。10年ブランクがあるとはいえ、法政大で4年間プレ

しごとでデッドオアアライブ

 やらなきゃいけないことのおかげで、ギリギリ保ててるものがあるなぁ、と、ときどきふと我に返る。  根本的には、世の中のほとんどのことには興味ないし、仕事なんてサボれるだけサボりたいに決まってるし、べつに円滑にやることが進められるのであれば(偉いとか偉くないだとかの)ポジションにだってどうだっていい。やらなくていいのであれば何もしたくない。仕事に前のめりなほうではない。  そう、それは、何にも縛られることのない個人の感情であって、組織やプロジェクトに巻き込まれて動くとなると

命短しポイせよここで

 たった5分で終わることなのに、それを始めるまでに1週間以上の時間を使ってしまう。ほんのちょっとのことなのに、脳が身体が拒否反応を起こし、その物事から目を逸らせ、忘却にまで追い込むなんていうこともある。特にひどいのは、その一連の流れを無意識的にやってしまってるときだ。  頭で考えればイージーモードなのに、動くとなるとベリーハード、場合によっては無理ゲーなこともある。意識と修練と反復によって克服できるものならまだいいのだけど、無理ゲーなとき、あるいは克服に想像以上に時間がかか

まじめに、なまける

 自分でもイヤになるくらい、性根がまじめで、むだに力みがちで、よく失敗する、だから、気張りすぎないように。そういう思いから、ひねり出したスローガンが「まじめに、なまける」だった。  そう、「なまける」ことに対して「まじめ」になろうよ、という自身への提案である。まじめという性質を邪魔せずに、そのベクトルをまなけるに向けさせるのは我ながらいい言葉を見つけたろ思う。  なんでこんなことを書いてるのかといえば、わざわざ・平田さんが説明することに近いなぁ、とふと思ったから。「力み

おしゃべりだから困る

 おしゃべりとは、ボクのことだ。小さいころから、うるさいくらいしゃべっていて、よく「話を聞け」と言われたものだった。  たぶん性格的にも、一方的で、価値観を押しつけがましいタイプの人間ったんじゃないだろうか(恥)。  だから、仲を良くしてくれてる友人も、話を聞いてくれる/話を聞くのが好きな人だったり、同じくおしゃべりで雑談/議論好きな人だったりする(とボクは思っている)。  でも、それはあくまで”プライベート”だから許されるわけであって、仕事においては(職業にもよるだろ