見出し画像

「書けなく」なったときは、自分のダサさを認めてみる。

昨日、ライティングなり、場の運営をお手伝いしてもらっている子がつくるイベントに声をかけてもらって、「メディア」を大テーマに、「ライフワークで書くこと」の小テーマを扱うところに足を運んだ。

足を運んだ、といっても、リビングという普段いるスペースでの開催となったので、ぼくが招いた、というような構図になったのだけど。

さて、ゲストには「LITALICO発達ナビ」「soar」「greenz」などのメディアに関わっている、鈴木悠平さん(以後、ゆーへいさん)。生業としてメディアに関わりながらも、「アパートメント」のようなウェブマガジンの管理をしており、ライフワーク的に自分で記事を書いたり、記事を書いてもらっていたりする。

(アパートメントは、ぼくも、管理人として、書き手として、関わらせてもらっている)

イベントの流れは、参加者同士のちょっとした自己紹介からはじまり、ゲストトーク、そして、Q&Aで応えるようにクロストークを交える、というもの。

ゲストトークでは、ゆーへいさんが編集・ライティングに関わるようになるまでのエピソードにも触れつつ、現在の活動について、またアパートメントでの(プロ・アマ問わず、お金を介さない)自己表現としてのライティングについての話がされた。

仕事のときの立場では決して見せることのできないキャラを「書く」ということを通して、どのように表現していくのか。

そういった仕事でもない、とはいえ、一人で完結する趣味ではない、その中間ともとれるような場として、メディアとどう付き合っていくか、という話は、やはり興味深かった。

ぼくの話はというと、「ブログのすすめ」という題目で、「ハチナナハチハチ」という共同ブログを通じて、書くことをはじめたというというもの。

(ハチナナ・ハチハチの「ブログ」に関する記事はこちら

一人でブログが続かなかった、単なる情けない理由だけで、まわりを巻き込んでみたら、たまたま87/88世代だったから、流れでそういう媒体となり、少しずつ関わる人数も増えていったよ、と。

また、この媒体をきっかけに、仕事でライティングに関わることになったり、「世代」という切り口で人との繋がりが増えたり、「移住」などのテーマにぶつかるようになった。現在、リビングという場に関わっているけど、家主の江口さんは「84イズム」をはじめた人だったし、なんか偶然が重なっての今だよねぇ、と改めて考えると不思議なご縁でもある。

話題をつくったり、だれかと繋がるための“コミュニケーションツール”として、また、やってみたい、おもしろそう、を試してみる“実験場”としてブログをつくって、そこで書いてみる。

あ、「書く」と書くと仰々しい気もするので、「吐き出すように想いをつづっていく」というほうがしっくりくる。という、「ブログはじめたら、おもしろいかもよ」と雑なまとめでぼくの話は終えた。

クロストークでは、参加者からの「書けなくなったとき、どうしてますか」という質問があったのだけど、これはドキリとグサリとくるクエスチョンなわけで、ぼくも「書けなくなる」ことが多いから、自分に対する戒めも含めて、「とにかく頭の中にあること・目の前にある光景をを記録する」と答えた。そういう意味では、やっぱり日記というのは最強だよな、と思うわけだ。

そして、書けないときほど、自分をよく見せようと「カッコつける」悪い癖が出るのだから、「60点」くらいの気持ちで、えいやっ、と公開してしまったほうが、反応ももらえるわけだから、次の「書く」につながると思う。記事を出してみて、「今のおいらの力はこんなもんだ」と打ちひしがれるくらいが丁度いいのだ、きっと。

そんな「書けない」問題についての質問をしたのが、ゆーへいさんの部下にあたる学生だったのだけど、イベントが終えたあとにFacebookを見てみると、ゆーへいさんの記事がアップされていて、「とにかく書いてみる」をかたちにしていた。本人は言葉にしないだろうけど、「こうやるんだよ」というのを、後輩に示していて、教育的というか、やさしさみたいなもの感じて、ほっこりした。

イベントを主催をした子も、ちゃんと記事を書いていて、なにか変化の前兆のようなものも感じるし、昨日の場はなんかいい場だったな、と思えた。ありがとう。

そんな二人にインスパイアされて、こういうだらだらとした文章を書いてみた。61点!

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。