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振り返る 17年 アタシラヴ

あんたは滅多に笑わない子供だったよ

赤ちゃんの時ってどんなんだった?と家族に尋ねると
大抵この返事をもらう。
(ここで言う赤ちゃんの時は0歳から3歳くらいのこと)

私はへ〜とかふーん。でその場をやり切るが、実を言うと、ほんとうに自分でもびっくりなのだが、わたしにはその自覚があったように感じる。
幼い頃はおかあさんとそのまわりにいる大人が全てだったわたし。人と人の空気が澱んだり悪くなったりするといつも気を使って喋ったりすることが多かった。子供ながらに毎日気を使って、おかあさんの離婚も早めに理解した。不幸があったら、葬式では絶対に静かにしていたし、おじいちゃんの前ではゲームはしなかった。欲しいものがあっても言ったことすら無かった。

まぁ。簡単に言ってしまえば、私は空気が読める子だった。

でも笑うことに関して、大して重要だとか思ったことはほとんど無かった。
絵も音読も暗記も人並み以上に出来た保育園時代。笑わなくても沢山人が喜んだ。きっと写真を現像してくれていた母は笑って欲しかったんだろうなと今になって思う。

そんな私であったが、家から15分もかからないところにあった小学校に入学した。
入学式のことはほとんど記憶に無いのだけれど、不安だった気持ちだけはほんの少し覚えている。
担任のゆり先生。ハキハキしていて優しかった。
毎日不安に包まれてた小学1年生だった。でも、月日が経つにつれて私が人より出来るものは少なくなり、勉強は超人並み、未だに人より出来るものは空気を読むこと、ぐらいになった。

小学2年生。大好きだった先生のクラス。おそらく私は「ひいき」されていたんだと思う。今になって聞くと、あの先生ひいきするから嫌いだった。と友達が言うことがある。 笑 
そんな先生のお気に入りだった私は毎日充実していた。九九はクラスで1番に覚えて、リーダーと言うものは全てやった。この頃から段々意識せず笑うことが増えた。

小学3年生。私はいじめられた。女の子5、6人といつも一緒にいて、2年生みたいに仲良くハッピーに過ごせると浮かれていた私。しゃしゃりすぎたからなのか、調子に乗ってると言われ徹底的に無視された。今でも思い出すと胸が痛む。

小学4年生。2分の1成人式があるこの歳。女の子と仲良くできなかった私。私以外全員男の子のグループで遊んだ。その結果更に女の子から反感を買ったが、1人の親友と出会った。

小学5年生。段々と自我が発達した。男の子を少し意識し出したわたしは、1番仲の良かった男子さえ避けるようになった。まあ、言ってしまえばその子が好きだったのである。初恋だった。逃げるように私は、休み時間も班も、4年生で出会った親友と一緒に過ごし、友達と過ごす楽しさを心から味わいつくしてやった。

小学6年生。担任の先生が嫌いだった。いつも、ガミガミするあの女性の先生。みんな嫌いで、私も、嫌いだったのに、何故か彼女からは好かれた。そして、2年生の時虐めてたあの子とまた仲良くなった。流石小学生、変な話である。

小学生fin

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