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与えられる側もすごい説

おばあちゃんにあめちゃんをもらったり、家族からお年玉もらったり。お菓子作りが得意な友達からお菓子食べ〜ってもらったり、買い物好きからいい感じのものを恵んでもらったり。

何かあげたいって思う人ってケチじゃないよなぁ。優しいなー。人を幸せにするよなぁ。「与える側」ってなんてすごいんだ、私も色々もらうばかりじゃなくて、与える側になりたい!と常に思っています。

が、、、いや待てよ。と。。。。


相手に、与えたい!もらって欲しい!食べて欲しい!とか思われる人素晴らしい説浮上です。


だってだって、自分が嫌な人には、この人になんかしてあげたい!という気持ちは自然に湧かないと思うからです。(もちろん人によります。)


じゃあ、私が与えられる側になる場面は、「私」も素晴らしい人間だから。ということにしておきます。


例えば、おばあちゃんが、「お料理作りすぎたからもらってー」とか言ったとして、自分が「いらん」とか「それ嫌いやから」とか言うとおばあちゃんはきっと悲しくなると思います。少なくとも最上級で喜べないと思います。ただ、「まじぃぃぃ!めっちゃ嬉しい!いただきまーす♪」とか言うと、おばあちゃんは喜びます。


本当に苦手な料理をもらったとしても、「おばあちゃんシェアしてくれてありがとう!でもちょっとこれ苦手やから、私食べられへんねん。。。」とか丁寧に気持ちを伝えると、もらったことに対しての感謝が伝わると思います。


ということは、「与える」という行為は、「与えられた側」の対応、盛り上げ方にかかっていると言えます。なのでもらう側も大切ということですね。


クラッカー🎉とかで盛り上げるとかはなんか違うと思いますが。


だから、人から何かをもらう時に、申し訳ないって思うんじゃなくて、愛されてる自分だからもらえるんだ、喜んでもらおう!というのがいい考え方になり得ます。


で、そのお返しとして、全力のありがとうを練習していきます。物で返す必要は絶対ではないのかなと感じます。自分が与える側の立場になって考えると(友チョコとか?)、相手に全力でもらって欲しいと思い渡すわけで、別にお返し絶対欲しい!とかは思わないからです。

(いや、チョコのお返しは欲しいです笑)



まとめ

もらうことに罪悪感は抱かなくていい!

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