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働くということ。


今日はお世話になった先生と久しぶりに会ってきました。

「仕事どう?」


と聞かれた時に、苦笑いで流してしまった自分がいた。そんな自分に気が付いた時、このままじゃダメだと強く思う。



就職をしてから、「あぁ、大学に戻りたいな」と思うことは何度もある。

でも、思い返せば大学の頃は「早く働きたいな」なんて思っていた。

興味もないのに取らなければいけない授業、学ぶ姿勢がカケラも見られない生徒達、教える気のない教授。

好きな授業や興味のある分野が確立していただけに、雑多としながらも閉鎖的で、自己責任ながらもきちんとカリキュラムが組まれた大学という場所は、時に私を苦しめた。


それでも週に何コマか好きな講義を受けられる時間や、頭を使って必死に課題を進める過程はとても幸せだった。


“大変だけど幸せ”

を体現していたと思う。


今となれば、それが一瞬でも感じられていただけ幸せだったのだ。

大学の頃は、「就職すれば、同じ方向を向いた仲間と一生懸命に時間を費やしていけるんだ。大変だけど幸せだと思える毎日がきっと待っているんだ!」とか思っていた気がする。


一生懸命に時間を費やすこと。


多分、それがわたしの生きがいだった。


だから、その感覚を一瞬だけでも感じられていた大学での日々は今となると少し羨ましい。



週5日、土日休みのために何となく働く毎日は私には退屈すぎている。



仕事だって人生の一部で、その時間は私を作り上げている。私の毎日は確実に積み上がっているのに、イマイチ何も掴めない。もう少し日々のクオリティを上げて、自分が好きな自分に近づけていくよう努力したい。一生懸命に時間を費やす瞬間が欲しい。人生はあっという間に過ぎていくんだから。



さてさて、働くってどういう位置付けが正しいんだろう。


なんとなく働いてるのにお給料がもらえる毎日。それってすごく失礼だけどありがたいこと。服を着てご飯を食べて屋根のついたお家の中で生活をする。全て、お金があるから出来ている。それなのに文句言って、「アンタ何贅沢言ってるのヨ」というのも重々承知している。


生きるということに対して高望みしすぎているのか。またモヤモヤする毎日を過ごす。


#仕事 #エッセイ #日常



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