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人と関わらないメリット

関わらないデメリットはさんざん言われているのでここでは特には触れない。

完全に独りで生きていくのは不可能に近いのではという自分の認識を踏まえての記事だ。

先日この記事を書いたので少しだけ補足というか思うことを追記する。

上の記事にある分人ぶんじんとは他者との関係の中で生じた、文字通り分けられた人であり、分人の集合体が一個人である。上の記事は別に読まなくていい。

分人とは、相手との相互作用の中で自然に生じる、一人の人間を構成する要素であるぐらいの認識があればいいと思う。

ナルシシズムが気持ち悪いのは、他者を一切必要とせずに、自分に酔って いるところである。そうなると、周囲は、まあ、じゃあ、好きにすれば、 という気持ちになる。しかし、誰かといる時の分人が好き、という考え方 は、必ず一度、他者を経由している。自分を愛するためには、他者の存在 が不可欠だという、その逆説こそが、分人主義の自己肯定の最も重要な点 である。

私とは何か 「個人」から「分人」へ 本文より

これは分人の説明なので他者が必要だと著者は言う。

本題に入る前に、一旦他者のことは置いておきたい。自分を知るために他者ありきなのは何かむなしくないかというのが僕の率直な感想だ。まあ、世の中、他者との比較だらけなのでそういうものなのかもしれないが。

本題に入る。

人間は群れる本能があるようなので、社会で生きていく上では、他者との関わり方が上手い人は生きやすい面もあるだろう。僕は別に、他者は不要だと言うつもりはない。

現実にしろネットワーク上にしろ、日々他者との関わりが多い人ほど意識が自分の外側に向いていないだろうか。

もちろん、多くの人と関わることで充足感を得る人もいる。そういう人は、自分一人の時間を過ごすことは少ないだろう。

一方で、人間関係に苦しむ、ストレスを感じる、自分を見失いがちになる人もいる。

僕は、今まで一人の時間を過ごすことが少なかった人には、何か悩みがあろうとなかろうと、ぜひ一人の時間を過ごすことをおすすめしたい。短期間でいい。

人と関わらないことで得られる最大のメリットは、自分に意識を向けて思考する時間がとれることだと思う。自分のことはわかっているとしても、より深堀することができる。

思考する場所は、あまり五感を刺激しない空間であればどこでもいいと思う。思考できる自分さえいればいい。邪魔が入らない空間で自身について思考する。

自分以外のことを日常的に考えている人は多いのではないか。僕も仕事をしているとそうなってしまう。

歳を重ねると自分以外のことも考えざるを得ないことも多々あると思う。現実逃避ではないが、自分を大切にする・自分をより知るという意味で自分に意識を向けて思考することをおすすめしたい。

思考して何か新しい発見をすることではなく、思考そのものが重要だと思っている。自分に関するテーマなら何でもいい。飽きたら自分以外のことを考えてもいい。ただし、何かを使用せずに自分の頭だけで考えること。
仮に自分のことが嫌いでも、どこがなぜ嫌いなのかを深堀してもいいと思う。悲しいけど、思考することに意味があるので。

普段、長時間思考しない人は、思考する癖をつけることを目的にしてもいいかもしれない。場所もそんなに選ばないし、ただなので気軽に取り組めるのがいい。

僕は普段から何か考えているようなタイプの人間なので、何も考えていない状態というのは少し想像しづらいものがあるが、かといって丸一日、頭の中にあるものだけで何かを考え続けろと言われてもきつい。

最後に、僕が思考について感じていることを少し書く。

僕は思考空間は宇宙空間みたいなものだと思っている。宇宙は4次元とか10、11次元とか言われているようだ。思考もそれぐらい壮大なものだというなんとなくの感覚がある。思考そのものは数えられないので無次元だろうか。

やはり月曜日は脳が元気だ。えらそうに書いているが、よくよく考えたら普段大したことを考えていなかったかもしれない。

おわり

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