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北九州キネマ紀行【若松編】吉永小百合が若松の女性を演じた「玄海つれづれ節」は映画館への〝愛〟がにじむ


前を向いて生きる女性を演じた

日本を代表する映画女優、吉永小百合。
彼女が「北九州(若松)の女性」を演じたのが映画「玄海つれづれ節」=1986(昭和61)年公開(監督・出目昌伸、原作・吉田兼好、脚本・笠原和夫ら)。
東映の人情コメディーだ。

吉永の長いキャリアの中でも、彼女が北九州の女性を演じたのは、この作品が唯一のはず(北九州の近くでは、筑豊が舞台の映画「青春の門」に出演)。

「玄海つれづれ節」の舞台は、九州最北端にある福岡県北九州市の若松。
吉永は、ばりばりの北九州弁をしゃべり、襲いかかる幾多の試練にも負けずに立ち向かう。

豪華な出演者、葦平へのオマージュも

この映画の魅力のポイントを北九州サイドから語るなら

  1. 吉永のほか、何気に豪華なスターたち(三船敏郎、樹木希林、八代亜紀、風間杜夫ら)が出演している

  2. 若松や小倉などでロケが行われ、(1986年)当時の貴重な地元の映像記録になっている

  3. 映画や失われていく映画館への〝愛〟がにじんでいる

  4. 若松、特に若松出身の芥川賞作家・火野葦平へのオマージュ(敬意)が感じられる

‥‥ことだろう。

失踪した夫を探しに九州へ

物語は、吉永演じる山岡ゆきが、多額の負債を残して失踪した会社社長の夫(元俳優で東映グループ会長だった故・岡田裕介が演じている)を捜す旅に出ることから始まる。
夫は九州に行ったらしく、山岡は横浜から郷里の若松へ。

山岡は、借金の取り立て人・緑川月代(八代亜紀)、同級生でテキヤのおもちゃ職人・竹田一平(風間杜夫)の協力も得て、夫を探す一方、若松の再開発をめぐるゴタゴタにも巻き込まれていく‥‥。

吉永は、さまざまなアクシデントに見舞われながらも、たくましく前を向いて生きる女性を演じている。
若松の人たちの人情の機微も描かれる。
東映映画だけあって、ヤクザ路線の展開にもなるが、基本は人情コメディー。

吉永、八代、風間がトリオを組む

出演者の一人、三船敏郎はドラマのキーマン。
九州の炭鉱夫出身という設定で、地元の顔役を演じている。
三船は、小倉を舞台にした映画「無法松の一生」=1958(昭和33)年公開版=で無法松を演じており、北九州とは少なからず縁がある。

樹木希林は、若松の旅館のおかみ役。
吉永小百合の助っ人となるが、彼女もまた流暢な北九州弁を使い、いい味を出している。

しかし、出演者の要は、やはり吉永、八代、風間の異色トリオ。
今となっては、なかなかお目にかかれない組み合わせで、3人は友情で結ばれていく。
劇中、3人が「キャバレーフラミンゴ」という映画主題歌を歌って踊るシーンがあり、これがなかなか楽しい。

八代亜紀さんは2023年12月、逝去されました。
いくつもの名曲がありますが、わたし的には「キャバレーフラミンゴ」がベスト1。
謹んでご冥福をお祈りします。

「キャバレーフラミンゴ」のレコード・ジャケット

脇役も渋い。
ベンガル(大林宣彦映画の出演が印象深い)のほか、内藤陳(「ハードボイルドだど」で知られたコメディアン。ハードボイルド小説の読み手としても有名)、草笛光子、伏見扇太郎(往年の時代劇スター)ら、個性的な面々が顔を出している。

小倉競馬場や若戸大橋が登場する

屋外シーンは、かなり北九州ロケが行われている。
映像に登場する主な場所は

  • 北九州モノレール

  • 小倉競馬場

  • 小倉城のお堀横道路

  • 新幹線の小倉駅ホーム

  • 若戸大橋

  • 若戸渡船

‥‥などなど。

このうち、若戸大橋は、今はない人道じんどう(人道は、かつて車道に並行してあった)を吉永が行くシーンがある。
これも地元的には貴重な映像。

映画館が取り壊される

「玄海つれづれ節」には、若松の映画館「銀映館」が取り壊されるシーンが出てくる。
再開発(スーパーマーケット建設)のためで、住民たちは取り壊しに反対するが、工事は強行される。

今は映画館といえば、ほぼシネコン。
しかし、かつて(昭和の頃)は、この「玄海つれづれ節」で取り壊されたような建物が一般的だった。

わたしも、そうした映画館に通った一人。
(幼い頃、親に連れられてゴジラ映画を見たのが最初)

その頃の映画館と言えば‥‥。

  • 上映中、大人たちは自由にタバコを吸っていた
    (ライターやマッチをつけるので、辺りは一瞬ぼうっと明るくなった)

  • 足元ではジュースの空き瓶が転がる音がした

  • 時にトイレの異臭が漂ってきた

  • 空調設備が整えられていたので、夏は涼しく、冬は温かった

  • 売店ロビーの壁には、人工着色したようなスターたちのポートレートが掲げられていた

などなど‥‥。

「玄海つれづれ節」で取り壊されたのは、そんな映画館。

かつては、長らく地元の人たちの娯楽の場となりながら、(わたしを含めた)多くの人たちの関心は、やがてテレビに移っていった。
そして、いつしか映画館に足を運ばなくなっていた。
その結果、映画館の数は激減した。

わたしが「玄海つれづれ節」に惹かれる理由の一つは、そんな映画館にノスタルジーを感じるから。
映画館は、自分の感性を育んでくれた〝学校〟であり、暗闇の中で作品に没入する面白さを教えてくれた所だった。

「玄海つれづれ節」には、映画館が取り壊されて、ある切ないエピソードが出てくる。
それが何かは、ぜひ映像ソフトや配信でご確認いただきたい。

葦平の小説にインスパイアされた?

若松の映画館の話をもう少し。
かつて日本一の石炭の積み出し港として栄えた若松は、1957(昭和32)年の時点でも16もの映画館があった。
しかし、次々に閉館し、1994(平成6)年暮れ、最後に残った若松東宝も閉館した。
若松東宝の最後の上映作品は、若松にもゆかりのある俳優・高倉健が主演した「四十七人の刺客」。
(「新修・北九州市史 文化編・教育編」による)

(高倉健と若松のつながりは次の記事でも紹介しています)

前述の通り、「玄海つれづれ節」では、映画館が取り壊される。
取り壊しに至る前、立ち退きに応じない映画館に嫌がらせをする集団がドヤドヤとやってくるシーンがある。

この嫌がらせのやり方が、映画館に糞尿ふんにょうをぶち撒ける‥‥というもの。
これは若松出身の作家、火野ひの葦平あしへい(1906〜1960、以下葦平)の芥川賞受賞小説「糞尿譚」にインスパイアされたものに違いない。

火野葦平と高倉健のつながりは、次の記事でも紹介しています


葦平が作詞した「五平太ばやし」

「玄海つれづれ節」には、葦平と関係するシーンがまだある。
映画の終盤、若松の人たちが「五平太ばやし」という郷土芸能を披露しながら喜びにわく場面。
にぎやかな民謡調の曲が奏でられ、太鼓が叩かれる。
この「五平太ばやし」を作詞したのが、葦平。

ハァー 蛭子えびすめでたや 若松小松
池にゃ鶴亀 お庭にゃ桜
わたしゃ若松 五平太育ち

(「五平太ばやしの歌」 作詞・火野葦平)

「五平太」は石炭のこと。
石炭は、若松の繁栄のシンボルだった。
「五平太ばやし」が生まれたのは1954(昭和29)年。
葦平は石炭から石油へのエネルギー革命によって、変わりゆく若松に深い思いを寄せたという。

そんな歴史がある若松は今、若戸大橋を始めとして、素晴らしいロケーションがいくつもある。
そして今も、このまちのどこかで、「玄海つれづれ節」で吉永が演じたような、しっかりと前を向いて生きる女性が頑張っている‥‥。
わたしには、そんなイメージがある。

参考文献:筑前若松五平太ばやし振興保存会「五平太ばやし」

若戸(わかと)渡船の若松渡し場。吉永小百合演じる山岡ゆきは渡船に乗って小倉競馬場に向かう。
中央の赤い橋は若戸大橋
火野葦平の若松の旧居・河伯洞(かはくどう)。
河伯洞は「河童(かっぱ)が棲(す)む家」の意味。
葦平は若松に伝説が残る河童をこよなく愛した


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