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「衛宮さんちの今日のごはん」に学ぶ、謝礼金よりもミカンをあげたほうが良い。

2021年2月7日、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が完結した。

いままで、私が最初から最後まで完走出来た大河ドラマは、『新選組!』『真田丸』の2作だけであったが、本作が3作目となった。

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(明智十兵衛光秀:『麒麟がくる』HPより引用)

天文16年(1547年)の美濃の国。国衆の一族である明智十兵衛光秀は、追討した盗賊が持っていた鉄砲に興味を持つ。十兵衛は主君の斎藤利政にかけあい、鉄砲と利政の正室の病を診るための名医を求めて旅に出る。(中略)争いの絶えない今の世にあって平和を願う十兵衛の、麒麟を召くことのできる人物を探す道程が始まる。

『麒麟がくる』Wikipediaより引用

戦のない穏やかな世に顕れる聖獣「麒麟」を追い求め続けた本作であったが、収録中は予想もつかない様々な問題に直面しており、「麒麟が来そうもない現場だったんだろうなぁ」と思われた。

東京オリンピックに配慮し例年より少ない放送回数となったこと、コロナウィルスの影響で撮影が一時休止となったこと、そのため約2ヶ月放送に間が空いたこと、帰蝶役の沢尻エリカが麻薬取締法違反の容疑で逮捕されたこと、その収録済シーンがすべて取り直しになったこと、などなど。

「大麻ドラマ」主演と揶揄された長谷川博己さんの心中を思うと、心の底からお疲れ様でしたと、労わせて頂きたい。


ただ、本作は文句なしに面白かった。

十兵衛と信長は、争いのない「大きな国」をつくるという共通の夢を持っていたが、両者の在り方には大きな違いがあり、この差が徐々に物語を「本能寺の変」へと導いていく。

万人の平和を願った十兵衛が、いかにして信長討伐を決断するのか、この過程がとても苦しく、かつ切なく表現されていた。


特に最終回ひとつ前の第43話「闇に光る樹」は秀逸であった。

もはや己の言いなりにならない正親町天皇(坂東玉三郎)の譲位を強引に進めようとする信長(染谷将太)。その責任者を命じられた光秀(長谷川博己)は、月にまで届く巨大な大木を切る不思議な夢に毎夜うなされるようになる。(略)

『麒麟がくる 第四十三話 闇に光る樹』公式HPより引用

信長の理不尽な叱責によって徳川家康の饗応役の任を解かれた十兵衛が、毎夜みる悪夢と現実の区別がつかなくなり、悪夢の中で信長が登る大木を切る動作を現実で行ってしまうシーンには、胸が熱くなった。その時の長谷川さんの表情が素晴らしい。


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むき出しの殺意『麒麟がくる』より引用)

元々大好きだった長谷川さんだが、本作で好感度が天元突破した。これからは私も長谷川さんに習って、理不尽な叱責を受けた時は、この顔と明智チョップにて意思表示を強く行っていきたい。


本作によって、多くの視聴者が思い描く明智光秀のイメージが変わったのではないか。謀反を起こした非道な一面だけではない、明智光秀の多様な見方を提案した本作は傑作であったと私は思う。

そして、誰もが思い描いている英雄のイメージを変えていく作品は『麒麟がくる』だけではない。『衛宮さんちの今日のごはん』もまた、既存の英雄像を打ち砕く作品だ。


ブリタニアの王も雑煮を食べる

『衛宮さんちの今日のごはん』はTYPE-MOON社が制作した大ヒットゲーム『Fate/stay night』のスピンオフ作品である。Fateシリーズでおなじみのキャラクターが、料理を軸にほのぼのとした日常を綴る物語だ。

Fate × 料理が織りなす美味しく優しい世界−
そこは少し賑やかなどこでもある食卓の光景。春も、夏も、秋も、冬も、衛宮さんちでは毎日おいしい料理がふるまわれる。さて今日は何を作ろうか

アニメ『衛宮さんちの今日のごはん』公式HPより引用

基となる『Fate/stay night』を知らないことには、何がなんだか分からないと思うので簡単に説明すると、持ち主の願いを叶える「聖杯」を争奪する魔術師達が、使い魔として過去の英霊を召喚し、最後の一組になるまで戦うという話である。要はバトルロワイヤルだ。

ただ設定や展開がこれでもかというほど凝っており、根強いファンが大量にいるコンテンツである。そのためスピンオフ作品が膨大に存在するが、『衛宮さんちの今日のごはん』は日常系マンガのため、戦いが全く出てこないことが他作品との差別化となっている。

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(戦いのない世界:『衛宮さんちの今日のごはん』6巻より引用 TAa著)

最新6巻は初詣の話から始まっており、人気キャラクター達が和装にて勢揃いとファンには嬉しい展開であった。画像は右から、遠坂凛(主人公の同級生)、間桐桜(凛の妹)、セイバー(真名はアルトリア・ペンドラゴン、アーサー王)である。

え?なに?ちょっと何を言っているか分からない?

しょうがないのでもう一度説明すると、右から、遠坂凛(主人公の同級生)、間桐桜(凛の妹)、セイバー(アルトリア・ペンドラゴン、イングランドの伝説的英雄、キング・アーサーことアーサー王)である。



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(アーサー王:『アーサー王』Wikipediaより引用)

アーサー王は紀元前5〜6世紀頃の人物で、ブリトン人を率いてサクソン人の侵略を防いだ偉大なるブリタニアの王である。その存在が歴史上本当に実在したかどうかを証明する史料は乏しいが、現代では多くの書物にて理想のキリスト教的君主として描かれている。

円卓の騎士団や魔法使いマーリンなど、彼の周辺を彩るキャラクターも多く、いくつか映画化もされているため、知名度は高いのではないか。


ただし、前述の美少女とは似ても似つかない。

まぁ・・・彼の逸話を紐解けば、セイバーに通ずる美少女の側面が見えてくるかもしれない。凝り固まった見方から、歴史的偉人を勝手に印象づけることの早計さを、私達は『麒麟がくる』から学んだばかりなのだから。


アーサー王の逸話の中でも最も有名なシーンは、ブリタニアの正当な王となる素質を持った者だけが引き抜くことが出来る、聖剣エクスカリバーの話ではなかろうか。

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(選定の剣を引き抜くアーサー王:『エクスカリバーとアーサー』Wikipediaより引用 アーサー・ラッカム作)

トマス・マロリー著『アーサー王の死』では、魔法使いマーリンが進言した教会に現れた、大理石の中央に突き刺さったエクスカリバーを、乳兄弟であるケイ卿の剣を取りに行くのを面倒に思ったアーサーが、ちょっと教会に寄って引き抜く様子が書かれている。

「そうだ、教会の境内へ行って、石にささっているあの剣を持って行ってやろう。ケイ兄さんは今日、剣なしでは困るだろう」(中略)そこでアーサーは剣の柄を握って、苦もなく、ぐいと石から抜き取り、馬に乗って兄のケイ卿のいるところまで行き、その剣を渡した。

『アーサー王の死』より引用 トマス・マロリー著

ものすごくあっさり引き抜いてしまっていた。情緒もなにもない。映画では見せ所のシーンだと思うのだが・・・。

しかもこの後、アーサーが本当に引き抜いたかを確かめるため、石に刺したり抜いたりを繰り返している。エクスカリバーって雑に扱っていいものだったんだなぁ。

こうして聖剣に選ばれたアーサーは、なぜか巨人を倒したり、ローマ皇帝を倒したりして、全ヨーロッパの王となった。その後、カムランの戦いで実子モードレッドから致命傷を受けアヴァロンで眠るまで、彼の人生は戦いの連続であった。


様々な伝説を持つアーサー王であるが、Fateの世界観では聖剣を引き抜いたのは実は女性で、性別を偽って王となった、という設定だ。そして現代に召喚、極東の島国で初詣に行き、雑煮を食べている。

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(郷に入っては郷に従うアーサー王:『衛宮さんちの今日のごはん』6巻より引用 TAa著)

既存のアーサー王のイメージなど知ったことかと、『衛宮さんちの今日のごはん』は新しいアーサー王を表現している。

マンガの想像力は、既に異次元に到達していることが実感できてエモい。


雑煮をとりまく天国と地獄

さて、今回彼女らが食べていた雑煮であるが、その歴史は室町時代まで遡る。「雑煮の歴史と文化(奥村彪生著 食器と容器 56(1), 2015)」によれば、足利将軍家を筆頭とした上級武家の婚儀の際に、酒の肴として振る舞われたのが始まりという。

元々は菱花びら持ちを焼いていたのが、体を温めるために今の形態となったという説もある。内蔵を温める「保臓(ほうぞう)」が「お雑煮」となったという訳だ。出典は不明だが、チコちゃんが言ってたから、多分そうなんだろう。


あの織田信長も、徳川家康に雑煮を出してもてなした記録があるそうだ。

群雄割拠の戦国時代になると、織田信長はお互いの信頼を固めるために徳川家康を安土城に招き、饗宴(式三献形式)の初献の酒肴として雑煮を出している。

「雑煮の歴史と文化」より引用 奥村彪生著

ん? 信長・・・家康・・・安土城・・・饗宴・・・?



このときだー!

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(本日2度めの殺意:『麒麟がくる』より引用)

『麒麟がくる』で十兵衛が信長に明智チョップを披露したのが、徳川家康を安土城でもてなす饗宴の場であった。この時に雑煮が振る舞われていたのかもしれない。

察するに、あの場にいた人は雑煮くらいじゃ全く温まらないような空気だったと思うが・・・。食べ物の力にだって限界はある。



それにしても『衛宮さんちの今日のごはん』と『麒麟がくる』の雑煮シーン、ギャップがありすぎではないだろうか?

戦いの連続であったセイバー(アーサー王)、「大きな国」を実現するために戦にあけくれた十兵衛と信長。規模は違えど似たような境遇であったはずなのに、雑煮を食べるシーンはまるで天国と地獄である。

この差はどうして生まれたのだろうか?


幸せを生まない「社会規範 va 市場規範」

行動経済学の名作、ダン・アリエリー著『予想どおりに不合理』では、社会規範が優勢な世界に、市場規範の考えが入り込むと、たちまち問題が起こると述べられている。

社会規範は、私達の社交性や共同体の必要性と切っても切れない関係にある。たいていほのぼのとしている。即座にお返しをする必要はない。(中略)市場規範に支配された世界はまったくちがう。ほのぼのとしたものは何もない。賃金、価格、賃貸料、利息、費用便益など、やりとりはシビアだ。

『予想どおりに不合理』より引用 ダン・アリエリー著


社会規範は友達通しの頼みごとに代表される行動規範だ。持ち物の貸し借りや、ちょっとした手伝いの依頼などが分かりやすいだろう。対して市場規範は金銭や契約を含むやりとりで、アルバイトなどがこれにあたる。

著書の中では仮説を実証すべく、以下のような実験が行われていた。

パソコンを使用した単純作業を以下の3群に分けた実験協力者に依頼する。単位時間内に最も熱心に作業をこなした群はどれか?

・A群:協力金として5ドルを作業前に渡す
・B群:協力金として50セントを作業前に渡す
・C群:金銭は払わず、ただ協力をお願いする
 ※各々の群は他の群の条件を知らない

結果は、C群>A群>B群の順で、成果物が多かった。報酬がない社会的なお願いごととして依頼された人が、最も熱心に作業を行ったのである。

実世界でもこうした傾向になるケースは十分にある。被災地復興へのボランティア活動などは、その代表といえるだろう。ヒトはお金のためよりも、心情のために熱心に働くものだ。

もしボランティアの募集要項に時給が記載されていたら、はたして人は集まるだろうか? 私なら行かない。



『衛宮さんちの今日のごはん』では、食事の準備はすべて好意によって行われている。見返りを期待しない社会的規範によって成り立つ世界だ。お金払うからご飯作って、などと言い出す人は一人もいない。

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(好意からの行動:『衛宮さんちの今日のごはん』6巻より引用 TAa著)


『麒麟がくる』では、甲斐武田を滅ぼした家康をもてなすための食事会であった。織田家と徳川家の関係を盤石なものとする、接待のようなものだ。そこにあるのは、信長の他国の富を奪う市場規範の思考に他ならない。

そのような市場規範が主な食事会にもかかわらず、饗応役として着任した十兵衛は一貫して義を重んじる人、つまり社会規範を基本の考えとする人であった。

そこに衝突が生まれたのである。

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(社会規範 vs 市場規範:『麒麟がくる』より引用)


全ての人の幸せのために「大きな国」を望む十兵衛は、義のない行為を許さない。対して信長は、自国民から褒めてもらうため、他国から富を奪い「大きな国」を作る。富を得れば自国民が幸せになるため、他国への非道な行いは許容されると考える。2つの思想は相容れない。

繰り返しになるが、社会規範の世界と市場規範の世界は両立しない。それどころか、一度市場規範の考えが入り込めば、その世界は市場規範で満ちて社会規範の考えを追い出してしまう。

以前報酬をもらっていた仕事を、報酬のないお願い事として頼まれた時に、快く受け入れてくれる人はいないことから分かるように、市場規範は社会規範より強いのだ。

十兵衛と信長が、セイバーことアーサー王のように、争いのない食卓を囲むことは、行動経済学的にあり得なかった。


まとめ

コロナウイルスによって、私達は食事をする時も配慮することが望まれているが、『衛宮さんちの今日のごはん』は、マンガの中だけでも暖かな食事を魅せてくれるという意味で、今の世のニーズに合った良い作品だ。

いま私達が直面している驚異が去った時、もしあなたが暖かく理想的な食卓を囲みたいならば、決してシビアな市場規範を持ち出してはならない。

「今日の晩ごはんは最高でした!いくら御礼を支払いすればよろしいですか?」などと言い出した日には、明智チョップをされるはめになるかもしれない。


もし善意に対して礼の気持ちを表したい時は、お金ではなくプレゼントをすると良い。『予想どおりに不合理』では、ちょっとしたプレゼントの影響で市場規範の世界に近づくことはなさそうという実験結果を得ている。

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(行動経済学的に正しい藤ねぇ:『衛宮さんちの今日のごはん』1巻より引用 TAa著)

確かに、作ったご飯のお礼には、謝礼金よりミカンのほうが嬉しいよね。


それでは。

(今までの記事はこちら:大衆象を評す

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