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「カゲロウデイズ」は2010年代最大の名曲の一つである【メモ】

筆者が小学生だったころは『カゲロウプロジェクト』の小説が恐ろしいほどに流行っていて、誇張なしにクラスの半分以上が読んでいた記憶がある。捻くれたガキだった筆者は正直言って読んでいるクラスメイトたちを内心馬鹿にしていたが、今思うと『カゲロウプロジェクト』及び『カゲロウデイズ』は、現代の邦楽シーンに最も影響を与えたプロジェクト、曲の一つのように思える。

現在、YOASOBIやヨルシカを代表とする新進気鋭のミュージシャンはみな小説的なリリックを書くようになった。それは、ボーカロイド畑出身のミュージシャンに限らない。アニメのタイアップなどでVaundyやKing Gnuが「原作への解釈とリスペクトがすごい」などと称賛されているが、彼らの歌詞からはしつこいほどに詳細な情景描写や考え抜かれた言葉選びが伝わってくる。それはやはり、詩的というよりは小説的だ。実際にYOASOBIやヨルシカは「タイアップでのメディアミックス」が前提として始まったプロジェクトであり、彼らはミュージシャンというよりは「YOASOBIプロジェクト」、「ヨルシカプロジェクト」の音楽担当と言える。

こうしたメディアミックス手法の確立はおそらくカゲロウプロジェクトの成功によるものだ。カゲロウプロジェクトも同様で、まず『カゲロウデイズ』という人気のボカロソングの歌詞とMVのなかにストーリーが格納されており、そこから小説やアニメに至るメディアミックスが拡大していく仕組みを取っていた。20年代音楽シーンで流行りの手法をおそらく意識的に最初にやっていたという点でじん(自然の敵P)は特筆すべき先見性を持っている。

ボーカロイドシーンの直接の源流は三つあると言える。一つはナンバーガール。wowakaがほとんど一人で完成させた「ボカロサウンド」の直接の源流だ。初期の「ボカロサウンド」は誤解を恐れずに言えばナンバーガールのギターサウンドをクリーンにして、曲のピッチを上げたものである。二つは椎名林檎だ。椎名林檎の影響は初期のボカロでも随所に見られるが(特に『脳漿炸裂ガール』など)、明確に影響が拡大したのは2016年、バルーンの『シャルル』以降である。椎名林檎の極大の影響はボーカロイドだけでなく2020年代シーンのほとんどに及んでおり、ボカロシーンもその一つと言える。

そして最後の一つがBUMP OF CHICKENだ。これは正確には、BUMPを含めたゼロ年代アニメソングのニコニコMADの影響と言うべきかもしれない。BUMPの初期の代表曲に「ラフメイカー」、「K」という曲がある。この曲はBUMPのなかでも特にストーリーテリングな性格が強いが、当時のネット民もそれは敏感に感取しており、様々なMAD作品が作られるようになった。東浩紀的なシュミラークルの増殖がBUMPの曲を軸にして起こったのだ。そしてこの流れは当然ボーカロイドの世界にも到達する。彼らはハチ(後の米津玄師)という接続項を通じて、小説的なリリシズムをボーカロイドの世界に導入する直接の源流となった。

「歌い手」になっても「唄い手」には決してなり得ないボーカロイドの特性上、作り手は彼女(初音ミクたち)のタブラ・ラサにあらゆる人格を代入することができる。ボーカロイドと小説的なリリシズムは想像以上に相性が良く、ハチは音楽に留まらない芸術的才能の全てを持っていたこともあり、存分にこの作詞手法を利用してテン年代音楽シーンの覇者となった。

『カゲロウプロジェクト』ではこの流れがさらに一歩押し進められた。BUMP OF CHICKENやゼロ年代アニソン、ハチの時点では楽曲はあくまでも「主」だったが(消費のされ方がどうであれ)、このプロジェクトではそもそもが半ば確信犯的に物語を「主」としており、楽曲はそれを語る舞台装置となった。「語るもの」-「語られるもの」のあいだで主従の逆転が起こったのだ。そして『カゲロウプロジェクト』を起点とするこの流れはヨルシカ、YOASOBIまで連綿と拡大していく。最近の歌詞はよりわかりやすく情景が描写されるようになり余白が無くなったという批判を聞く。これに絡めて最近の若者の読解力が落ちたという紋切り型の批判も出来なくもないが、むしろこの傾向は「歌詞」そのものの特権性の剥奪に関係するものだろう。

20年代音楽シーンに影響を与えたテン年代の名曲として、サブカルオタクたちはsuchmosのStay Tuneや、tofubeatsの『水星』をあげることが多い。確かに名曲であり、多大な影響を与えた曲だが、現代JPOPの直接の源流はそこよりもむしろボカロシーンにあると言っても過言では無い。実際シーンへの影響抜きにしても、筆者と同世代の人間に対するカゲロウデイズの影響力は、上の世代にとっての『ハルヒ』や『エヴァ』のようなモンスターコンテンツに匹敵するのでは無いかとすら感じる。カゲロウデイズは、ボーカロイドの歴史が「ハチ史観」や「wowaka史観」に寄りすぎないためにも、その歴史的な意義がもう一度見直されるべきではないか。

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