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◆仕事が大好きだったわたしの子育てに関する悩み〜教育〜

おかげさまでおコももうすぐ2歳。
あっという間だった。あのふにゃふにゃだった新生児時代を思い出せないくらい、目の前のおコはしっかり自分の足で立ち、「ご飯どうぞ、たべて」とわたしが用意した夕食を我が物顔で、わたしと主人に促す。

言葉や所作などが日々アップデートされる様を見て、あらためて
「成長とは真似る」、なのだなと感じる日々。この話はまた今度noteにしたためようと思う。

さて最近よく考えている、子どもの未来。それはもうわたしたちが過ごしてきたそれとは大きく違うものであることは容易に想像ができる。だからそこ、毎晩夫婦で語り妄想しまた語り、その中で確固たる決意を2人ですることもあれば、なんだか雲を掴むようにふわりふわりまったく尻尾すら見えずに夜の闇に紛れてしまうものもあり。

しかしすべからく、どこかの時点ではふたりで答えを出しておコに提示していく必要があるんだろうなぁ。

埋まらぬ回答用紙

子どもを産む前から不安はいくつかあった。
その中のひとつが「教育」。
「ちゃんと教育できるのかな?」
「間違った教育をしないだろうか?」

不安の理由は三つ

①自分が親からどんな教育をうけたか?と尋ねられても明確な答えが浮かばないから。

きっと何か繰り返し言われたり、親が親なりに方針を決めたりして、我が家なりの教育を受けてきたのだろうと思うのだが、驚くほど「記憶がない」w
比較的自由にさせてもらった気もするし、習い事や進学などはほぼ母親の薦めで決めたような記憶もある。
「これだけはね、ダメだって親に言われてきたんですよ」トーク番組でそう話す著名人を見ては、すこし喪失感を覚えたりした。

②予測できないネガティブなことに対応できるか不安だから。

ニュースや時事問題について主人とはよく話をするけど、児童が犠牲になる事件や事故、いじめ問題、、、2人でなんとなくの方向性はいつも同じところのたどり着くのだが、本当にいざ当事者となったら、、、と考えると気が気じゃない。不慮の、ものばかりだけど、でもやはり直面する真の当事者は我が子本人で、本人の初動がとんでもないものにならないよう日々メッセージを伝え続けるしかないんだろうな。しかし私たちの価値観が時代にあってるのか?そのときのベストなのか?ベストを我が子に与えられているのか?もう結果勝負なんだろうから、不安は尽きない。

③主人と私まで、ゲームやインターネットに対する価値観が異なるから。

子どものネットトラブルの多くってLINEやtwitterでの非対面者との出会いから始まるものだって、何かで読んでから、
わたしは内心ヒヤヒヤなのですが、
主人はネットやパソコンには早くから慣れさせて上手く使ってほしい派。

休憩時間に図書館に入り浸っていたり、1人教室で花を写生してたりしたわたしにとってはゲームですら、できれば存在を隠して過ごさせたいのだが、これまた主人はゲームで育つ知恵や思考もあるから選択肢として積極的に与えたい派。

これはきっと正解はないんだよな〜
でも絵本もお人形遊びもそっちのけで、パソコン画面に向かうお子の姿をみて寂しく感じるわたしの心はどうしようもないんだろうな、と今からセンチメンタル。

一方冒頭の、ネットリテラルに関しては学校に任せっきりになるのではなく、しっかり家庭教育もしていきたい。

人は経験則でしか語れない

こういう問題ってきっと、自分の中には正解はないので、書物やネットからいろいろ知識や情報を取り入れていくべしかなと。オススメがあれば教えてほしいです。

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