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こんぴらさんと文学者(森鴎外、北原白秋、吉井勇他)

ゴールデンウィーク前半は、香川・琴平へ行って金刀比羅宮に詣でてきました。金刀比羅宮は「こんぴらさん」の愛称で親しまれ、古くから信仰を集めてきました。文人墨客も多く訪れ、森鴎外が「金毘羅」という作品に描いたことでも知られています。

今回は旅の記録として、金刀比羅宮周辺にある文学者ゆかりの碑と、多くの文学者が逗留した宿として知られる「琴平花壇」について記します。

参道の灯篭

参道に建てられた灯篭、よく見ると片面にはこんぴらふねふねの歌詞、そしてもう片面には琴平ゆかりの文学作品が刻まれています。

私が見逃していなければ、参道手前側から
斎藤茂吉、菱谷竹人、佐藤佐太郎、森鴎外、間島琴山、高濱虚子、村上鬼城、正岡子規、河西新太郎、吉井勇、種田山頭火、高濱虚子、与謝野晶子、北原白秋、高濱虚子、合田丁字路、志賀直哉、志賀直哉、宮本百合子、宮本百合子
という順番。

森鴎外はもちろん小説「金毘羅」の一節。てんてこ舞といううどん屋さんの前にあります。ここで昼食を食べましたがなかなか美味しかったです。席数が多く、回転も早いので昼時でも入りやすいのも◎

琴平まで来て、象頭山の入口にある琴平華壇に這入った。
(中略)今日は丁度土地のものが沢山参詣いたす日でございますから……
小説「金毘羅」森鴎外

志賀直哉は小説「暗夜行路」から、宮本百合子は随筆「琴平」から、それぞれ2箇所ずつ紹介されているので2度登場しますが、高浜虚子は俳句が3本も紹介されています。いずれも紅葉の時期に詠んだもののようですね。

老祢宜も紅葉かざして祭貌
たま/\の紅葉祭に逢ひけるも
伝奇にも酒手くりやうぞ紅葉篭  高濱虚子

一方、吉井勇の歌は桜の季節。

金刀比羅の櫻まつりにゆきあひぬうれしかしこしたび人われも 吉井勇

金刀比羅宮の境内は、今時分の瑞々しい青葉や鮮やかなツツジが咲く様も美しかったですが、次は紅葉や桜の時期にも訪れてみたいものです。

吉井勇歌碑

さて、金刀比羅宮には、土産物屋が並ぶ石段の表参道とは別に、舗装された道の、自然に囲まれた裏参道があります。ここにひっそりと立っているのが歌人・吉井勇の歌碑。帆を立てた舟形の碑です。

金刀比羅の宮はかしこし船ひとか流し初穂をさゝくるもうへ 吉井勇

もう少し分かりやすく記載すると

金刀比羅の宮はかしこし。船びとが流し初穂をささぐるも、うべ。

となるかと思います。

「流し初穂」というのは、金刀比羅宮への代参方法の一つ。沖合から賽銭やお神酒を詰めた樽を流すと、拾った船人はそれを港まで渡し繋ぎ、最終的に地元の漁師が金刀比羅宮へと運び代わりに奉納するという風習です。今ほど庶民が自由に旅行できなかった時代、この他にも初穂を犬に託す「こんぴら狗」など、様々な方法で金刀比羅宮へと参拝する代参の風習がありました。特に金刀比羅宮は海上交通の守り神として、漁師や船人から信仰されていたので、このような代参方法が盛んになったのでしょう。

そこまでして初穂を捧げたいと考えるのももっともだ、と思うほど立派な宮であるという意味の歌ではないかと私は読みました。

参道の灯篭に刻まれた与謝野晶子の歌も流し初穂に触れています。金刀比羅宮に感嘆する吉井勇と、それを信じる人たちに感嘆する与謝野晶子。それぞれの着眼点の違いが面白いです。

船人の流し初穂の枝を見よ信ずるものの放胆を見よ 与謝野晶子

吉井勇の歌碑は金刀比羅宮宝物館の裏手から、裏参道を少し下った右側にあります。木が被さって分かりにくいので、隣のあずまやを目印に探すと良いかもしれません。

北原白秋歌碑

宝物館からさらに石段を登って登って登った先、785段目が本宮です。

そしてこの奥に、奥社へ向かう参道があります。本宮までの道のりよりも木々がより深く生い茂り、さらにこの日は霧も出ていたので、なんとも神さびた雰囲気。

809段目にある真井橋を渡ったところに、詩人・北原白秋の歌碑があります。

守れ権現夜明けよ霧よ山はいのちのみそぎ場所 北原白秋

慶應山岳会の「山の唄」の歌詞冒頭ですね。白秋は校歌や社歌の歌詞を数多く手掛けました。この後には

行けよ荒くれどんどと登れ 夏は男の度胸だめし

と続きます。この日はちょうど、明け方まで小雨だった影響か、金刀比羅宮周辺に霧が出ていました。

さらに登った923段目は崇徳天皇が祀られている白峰神社。

紅葉谷とも呼ばれ、この時期は青紅葉が霧にしっとりと濡れる様が美しい場所でした。時間の都合で今回はここまでで折り返し。またいつか、奥社まで行ってみたいと思います。

琴平花壇

今回宿泊した宿「琴平花壇」は金刀比羅宮参道近くにある老舗の旅館。森鴎外をはじめ多くの文学者が逗留した宿でもあります

客室に置かれたパンフレット「琴平花壇の歴史400」によると
・明治41年 森鴎外(小説家)
 (翌年発表した短編小説「金毘羅」に琴平花壇の様子が描かれている)
・昭和6年 与謝野鉄幹、与謝野晶子(歌人)
・昭和10年 北原白秋(詩人)
・昭和11年 吉井勇(歌人)
・昭和14年 井伏鱒二(小説家)
がここに宿泊しました。芳名帳や画帳に彼らの直筆が残されています。

琴平花壇敷地内には本館とは別に、日本庭園に囲まれた3棟の離れがあり、さながら別荘地のような趣。

パンフレットによれば、北原白秋はその一つ「泉亭」に逗留し、好物のアスパラガスをよく食べたそう。また、ここで詠んだ

六月六日蛙啼きつつ曇りなりこの我がゐる松多き山 北原白秋

という一首は、参道の灯篭にも刻まれています。

森鴎外が宿泊し「金毘羅」にも描かれたと言われているのは、その隣に立つ「延寿閣」です。

鴎外がこの宿について詠んだ

松あおく もみじは紅に 琴平の 花壇に逢いし 人は忘れじ 森鴎外

という一首は、大浴場の入り口に展示され、夕食の箸袋にも記されています。大浴場の待合スペースには井伏鱒二らの寄せ書きも展示されていました。

今回、私自身は、人数の都合により泉亭でも延寿閣でもなく、もう1棟の離れ「長生殿」に宿泊しました。長生殿はこの地に移築されたのは昭和26年のことなので上記の文学者たちが訪れた時期よりも後にはなるのですが、建物自体は丸亀藩主京極氏の茶室を移築した、琴平花壇内で最も格式の高いものだそう。

立派な襖絵や掛物に囲まれた二間や、窓の外の緑が美しい広縁も素晴らしかったですが、何より印象的だったのはお手洗い。床は漆塗り、天井は折上げ格天井。自分史上最高級の用便タイムでしたw

全体としては、当時の趣を残しつつ、ガラス窓や照明器具には明治大正期の調度を取り入れつつ、不便のないよう適度に改築されていてとても心地よく過ごせました。四国尽くしの夕食も大変美味。

ゴールデンウィークはどこも混雑するので、心地よい宿でゆっくり過ごすというのも良いものですね。


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