「ジヴェルニーの食卓」読んだよ!

原田マハさん著の短編小説、「ジヴェルニーの食卓」を読みました。

四編の短編小説、「うつくしい庭」「エトワール」「タンギー爺さん」「ジヴェルニーの食卓」が入っています。
この短編集、今まで読んだ原田マハさんの著作の中で一番好きです。
読んでいてじわ~っと心に染み渡るようなお話ばかりです。

「うつくしい墓」
この物語は、アンリ・マティスのアトリエに勤めたお手伝いの少女視点の物語です。
幼い頃に親を亡くし家政婦として働いていた主人公マリアは、ある日勤め先のマダムに庭先のマグノリアをとある御仁に届けてほしいと頼まれます。
その御仁こそアンリ・マティスだったのです。

この話を読むまではマティスのことはあまり知りませんでしたが、ピカソと親交があったということで驚きました。
また、物語を読んだあとにマティスの絵画を見てみたのですが、「おぉ…荒々しく騒がしいな……」と思いました。
フォービズムの画家なので、当然と言えば当然ですね。

マグノリアを届けたマリアですが、アンリ・マティス本人から花を生けて欲しいと言われ、マティスの絵画「マグノリアのある静物」のように生けます。
それをマティスが気に入り、マリアはそこで働くこととなるのでした。
マグノリアの花を調べてみたのですが、真っ白で綺麗なお花ですね。
マリアもきっとこんな可憐な少女だったのでしょう。

1954年にマティスが亡くなった後、マリアは修道女になることを決意します。
マリアはまだ二十代の少女でしたが、その後の自身の青春を「犠牲」にして、マティスの墓場に寄り添える職業である修道女になるのでした。
すごいことですよね。
これからまた家政婦として働くこともできるし、恋愛もできるし、結婚して出産することも出来るという可能性に溢れているにも関わらず、マティスの側に仕えたいという理由で全てを切り捨てる。
まだ若いのに…と思いますが、若いからこそ下せる決断かもしれません。
マティスがまだ存命の頃、マティスのお墓の話をしただけでマリアは涙ぐんでしまいました。
マリアがマティスの元で何年働いたのか分かりませんが、そんなに想える相手のために働けたのは素晴らしいことです。
ヴァンスのロザリオ礼拝堂、私も行ってみたいです。

「エトワール」
アメリカ人女性画家であるメアリー・カサット視点で描かれたエドガー・ドガのお話です。
ドガが精力的にバレエの作品を製作していた頃が舞台です。

ドガは、オペラ座に通いバレリーナを描くことに専念していた時期がありました。
舞台上はもちろん、稽古場でのワンシーンを捉えた作品もあります。
作品には時折パトロンが描かれています。
当時のバレエと言えば、一発逆転を目指す貧乏な生まれの少女が殆どだったようです。
(諸説あるかもです。)
今はお金持ちの良いとこのお嬢様の習い事、というイメージなので、驚きました。
ただバレエを踊るだけではなく、お金持ちのパトロンに見出だされなければなりませんでした。
そのためにドガの製作に手を貸す少女もいたそうです。

カサットは度々ドガのアトリエを訪ねており、少女がドガのモデルをしている場面に遭遇していますが、ある時裸の少女がモデルをしている所に出会します。
少女に詳しく話を聞くと、少女を模した作品ができてパトロンの目に留まれば、田舎の家族にお金を送れるので協力していると言いました。
家族のため芸術のため、思春期の自らを「犠牲」にして製作に協力していたのでした。

結局、ドガはその少女をモデルにした彫刻を製作しましたが、作品に売り手はつかず、少女にもパトロンはつかず、少女は田舎へ帰っていきました。
当時のバレエ事情やパトロンの話を知ると、ドガのバレエの絵を見る際は複雑な心境になりますね。

「タンギー爺さん」
パリで具材屋を営んでいた"タンギー爺さん"の娘がポール・セザンヌに宛てた手紙で物語が紡がれます。

絵画製作に絵の具は付き物で、当然絵の具を購入するためにはお金が必要です。
駆け出しの画家や売れない画家は、絵の具を手に入れるのに苦労したとか。
その点タンギー爺さんは、そのような画家の味方でした。
ツケ払いや後払いOK、なんならお金の代わりに絵をお店に置くのでもOK、だったそうです。
貧乏だったセザンヌもタンギー爺さんには助けられたようですね。

タンギー爺さんの元には、来る日も来る日も貧乏画家がやって来ます。
皆が皆まともにお金を払わないので、タンギー爺さんのお店の売上は芳しくありません。
贅沢が出来ないのはもちろん、タンギー爺さん自身にも負債が貯まっていきます。
タンギー爺さんの妻と娘はこのことを良く思っていませんが、当のタンギー爺さんは幸せです。
彼の家族の生活は、多くの芸術家の「犠牲」となったのでした。

タンギー爺さんが亡くなった後、妻と娘はお店に置かれていた絵画をオークションに出します。
画家たちが「絵の具代のかわりに」と置いていった絵画です。
結局、それらの絵画は二束三文にしかならず、家族は貧乏から抜け出すことは出来ませんでした。
ですが、父を恨むことなどなく、父を頼って画家が訪ねてくる時には、在りし日のタンギー爺さんのように画家を歓待するのでした。

タンギー爺さんは実在の人物です。
ゴッホが描いた「タンギー爺さん」の肖像画はご本人なのだそう。
いつか実物を見たいものです。

「ジヴェルニーの食卓」
クロード・モネについて、再婚相手の娘ブランシュの視点から描かれたお話です。
モネは、妻であるカミーユを亡くした後、モンジュロンで知り合ったアリスと再婚します。
製作活動の一環でモンジュロンを訪れ、アリスらと生活していた時、モネとブランシュは出会いました。
当時から、ブランシュはモネの助手として野外製作に同行したり、モデルを務めていました。

ブランシュは、(建前ですが)「モネを悲しませたくないから」プロポーズを断り、「モネに勧められたから」結婚しました。
結婚相手が亡くなってからは、モネの住まうジヴェルニーの家へ移り、献身的に彼の製作活動を支えました。
初めての出会いからずっと、彼女の行動の全てはモネに捧げられているようです。
モネの製作活動の影には、ブランシュの「犠牲」があったとも言えるでしょう。
物語では、白内障を患いながらも「睡蓮」を製作しなければならないモネと、彼を献身的に支えるブランシュが描かれています。

このように、四つの物語では芸術の「犠牲」となった人物が描かれています。
「芸術は人間を犠牲にして成り立つのか」。
芸術の都・パリでの優れた画家の活躍は、多くの人間の「犠牲」の上に成り立っているような気がしました。

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