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78年前の長崎から今の私に繋がっているもの

今日は8月9日。
インターネットで調べると、今日はハンバーグの日、ムーミンの日などとされているらしい。
しかし、一番最初に思い起こされるのは、やはり長崎に原爆が投下された日であるということだろう。


惨劇はすぐそこに

私の父は長崎県出身だ。
1945年当時6歳ほどだった祖父母は佐世保市に住んでいたため被爆していないが、やはり8月9日になるとあの日に長崎で起こっていたこと、そして自分が今生かされていることに思いを巡らせる。

私の父も、8月9日には夏休み中であるが学校に登校し、原爆を体験した先生の話を聞くというのが毎年のことだったそうだ。

正直のところ、原爆投下から50年以上が経って関東で生まれ育った私のような人間にとって、原爆、戦争は教科書の中のものだった。おそらくクラスメイトたちの多くにとってもそうだっただろう。
しかし、被爆した先生による8月9日の話を父から聞いた時、教科書の中の話が私のルーツの極めて身近なところまで接近した過去があり、何かの偶然によって私が生まれていない世界線になり得たのだと痛感させられたことを強く覚えている。
やはり長崎の人にとって今日は特別なのだ。


あの日、あの地でなければ感じられぬもの

大学1年の8月9日。
私は長崎で毎年開催される平和祈念式典に初めて参列した。

あの時代に世界中で繰り広げられていた戦禍。
あの日燃え盛った炎と流された多くの血。
あの瞬間に長崎を包んだ閃光と熱、そして日常を吹き飛ばした爆風。
いくら教科書で勉強しても、8月9日の長崎に行かなければ感じられないものがあった。

11時2分。猛暑の長崎に響く鐘の音と蝉の声。
長い月日を経て、また、多くの先人たちの偶然の積み重なりによって、私は命ある人間として長崎の地で黙祷を捧げられた。
あの1分間は、これからもきっと忘れることはない。


私が繋げられるもの

8月6日 8時15分
8月9日 11時2分
8月15日 正午

子どもの頃から、この日時には家にいても必ず黙祷を捧げてきた。
社会人になってからは、職場で放送が入り、黙祷の時間が設けられている。

今日も11時頃に放送が入るはずだ。

私は為政者ではないし、世界に何か影響力がある人間でもない。
核兵器廃絶・世界平和のために私が実際にできることなんてほぼ無いと言っていいだろう。

それでも、この世界を生きる1人の人間として、今日は78年前の長崎で起こっていたことと、今を生きる私の命について考えたいと思う。
全世界の人々がこのような時間を持つことの積み重なりこそが、核兵器廃絶・世界平和に繋がると思うから。

平和祈念式典の前日に行われていた「平和の灯」にて撮影

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