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孤独から抜け出したい!ー学生時代ハブられまくってメンタル終わった私が語る。


突然ですが
あなたは、一人でいることは平気ですか?

私は、平気じゃないです。

場面によっては、どうしようもなく寂しいし、辛いと感じる。
孤独だな、と思う。

私は小学生まで、当たり前に人に囲まれて生きていました。
ムードメーカーとして親しまれ、男女問わず、友達もそれなりにいました。

でも、私は中学生になって初めて「独り」を経験しました。

中学一年生の時、仲がいいと思っていたクラスメートに裏切られ、友達グループから外されました。

お昼や移動教室を共にして、休み時間にも当たり前に話したりしていた日常が、突然失われました。
ずっと続けていた交換ノートは回ってこなくなり、一緒に遊ぶ機会も無くなってしまいました。

不幸中の幸いだったのは、
私の他にもう一人の女の子も一緒に仲間外れにされたため、一人になるという状況は避けることができたこと。

そして、その女の子は明るくておもしろい子で、コミュ力も高く、他のクラスメートとも気軽に話せるような子だったので、私も一緒に輪を広げていくことができました。

ただ、問題だったのは部活の方です。

私を仲間外れにしてきた子達の内、2人が同じ部活でした。

イメージを持ってもらうために言いますが、私はソフトテニス部に所属していました。
女子と男子で分かれていましたが、女子の方は最も部員が多い人気の部活でした。
とりあえず運動をさせようという親の思惑に対し、どうせやるならかわいいイメージの強いテニス!ってなる子が単純に多かったんじゃないでしょうか。笑
実際、部員の子は可愛い子が多かったです。ダンス部とかはなかったですが、あったら絶対入っていただろうと思われるようなカースト1軍女子がゴロゴロといましたよ(笑)
誰かに怒られそうなので(?)弁明のために言っときますが、私はそういう子たちに対して、キラキラしててすご〜いって憧れてるタイプの人間でしたよ(ウインク)

それはさておき、私はクラスメートの2人と一緒に3人でこの部活に入り、行動を共にしていたので、、だいたい想像がつきますよね。

完ッッッッッ全にぼっちになったわけです。

いやー、思い出すとほんとに自分が可哀想に思えますよ。

女子って集団行動が大好きじゃないですか。
そして一度できたグループ(集団)は、もう色が付いちゃっているわけで。
第三者が途中から入るのはそう簡単なことじゃないんです。
まず、このグループ(集団)に合う奴かどうかを審査するところから入るのですから。
まあ怖い世界ですよね。一度はみ出た者に、救済はほぼないと言っても過言ではないと私は思ってます(個人の感想です)。

練習中の一人は、まだ我慢できました。
テニスに集中すれば、できるだけ気にせずにいられたから。

辛かったのは、お昼。

たとえば雨の日に、校内で練習することになって、廊下にズラーっと部員が座って、ご飯を食べる時とかあったんですけど、みんな、私に背を向けてそれぞれの友達とご飯を食べるんです笑
それでも頑張って、話に入っていこうとしたこともあったけど、無視されたりしたし、誰も助けてくれる気配はなかったので、途中で諦めました。

みんながそれぞれ集まる中での一人って、まじで公開処刑で。
周りが大して気にしていなかったとしても、自分的に耐えられなくてメンタルボロボロになることも度々あったので、部活でお昼を食べる時はいつも、屋上手前の人通りの少ない階段でひっそりと食べてました。たまに、辛すぎて泣いてたこともあったなあ。

そんなに辛いならやめればいいのに!って思いますか?

私ももちろんやめたいと思ってました。

でも、ある日ママにそのことを相談してみたら、「それに屈するの?」って言われて。

「別に一人でもええやん!わかなは強いんやから大丈夫。負けたらあかんよ。ママも一人になったことあるけど、(友達がいなくても)全然大丈夫やで」と返されました。要するに、続けなよって。

私は正直、「可哀想に・・・そんな思いするんやったらやめ?」って同情されると思ってました。でも振り返ってみれば、ママは根性型の教育方針で、なんでも我慢強く継続することを正とし、教育されてきたな、と思って。
その頃の私は、ママには従わないといけない、ママの言うことは絶対だ、と忠誠心および恐怖心があったので、
最終的には、辛いけど続けるという選択をしました。

でも、ママの言うことも理解はできました。

人に囲まれて生きてきた私が、こんな奴らに弱い者いじめをされて、好きな部活まで追い出されるのは納得できないと思い、絶対に屈しないと覚悟を決めたんです。

そして諦めずに部活を続けていたら、変化が訪れました。

なんと、初めに仲間外れにしてきた一人は部活をやめ、もう一人はいつのまにか部活の中で孤立していったのです。

そして私はと言うと・・・
のちにキャプテンとなるカースト一軍女子(その呼び方やめろ)が突然声をかけてくれ、見事孤立から脱却したのです!!

え、普通にすごくないですか?

奇跡って本当に起こるものなんやなって本気で思いました。

それから私は、何があってもポジティブに乗り越えられるようになりました。
ちょっとやそっとこのことではへこたれない精神力を身に付けたのです。

それからの2年間、卒業までの間、私が同じように孤独に悩まされることはありませんでした。
素敵な友人に囲まれて、楽しい日々を過ごすことができました。

だからこの思い出は、苦いものだったけれど、結果的にはいい思い出になりました!めでたしめでたし♪

・・・と、美談で終わればよかったんですけど、
本当の地獄は数年後にやってきます。

ヒョォ〜ウ!!おもしろくなってきましたね〜〜!!(他人事)

・・・はい。
茶番はやめて真面目に話しますと、高校生になって私は再び孤立することになりました。

それもまた、悲しいかな、高校生始まりの年、1年生の時でした。

高校生活には、かなり期待に胸を膨らませていました。
一生懸命受験勉強をして、合格を勝ち取り、本当に行きたかった高校に進学することができた。
中学最初の苦い思い出なんて、一ミリも頭の中にはありませんでした。

それなのに、独りになってしまった。

正直、絶望しかありませんでした。

本当に信頼していた友達に裏切られるということは、あまりにも残酷で、辛かった。

中学生の時とは環境が変わって、今度は教室の中で独りという状況。

あの時は逃げ場所を作ることができたけど、教室となると逃げ場はどこにもなく・・・

毎日、孤独と疎外感に悩まされる日々でした。

心がボロボロになっていた私は、人に優しくすることなど到底できず、部活では態度が悪く部員から見放されてしまったり、ママに当たってしまうこともありました。ママには以前のように相談すれば、また弱いと思われるだろうし、アドバイスを言われても素直に聞き入れられるはずがない。と思い、今度は一人でこの問題を抱えることとなり、苦しみは増していく一方でした。

中学生の時のポジティブ思考はとっくに消え、私はいつだって独りなんだ、みんなに嫌われる対象なんだ、とどんどん塞ぎ込んでネガティブ思考になっていきました。

人を信じることもだんだんできなくなっていった私は、誰かに期待することをいつからかやめ、自己主張も控えめになっていき、人に合わせるようになりました。

その結果、本当に仲がいい親友のような存在は3年間を通して作ることはできませんでした。

こうして、今の自己肯定感の低さ、自信のなさに繋がったのは、間違いなくこれら学生時代の体験だと思っています。

10年も前の体験が、今現在も響いていると語ったら馬鹿にされてしまうかもしれないけれど。
それほど、学生時代の体験は強烈だと言うことです。

現在私は25歳。
メーカー勤務のOLですが、職場でひとりの時間があります。具体的には、お昼休憩の時間です。

でもこの「ひとり」は学生の時とは意味合いが違います。別に、仕事中に疎外されたり、いじめられているわけではありません。

ただ、自然な流れで、ひとりになっている。

・・・と思いつつも、やっぱり私は独りになってしまう運命なのかなあ。と思うこともあります。

でも、独りになるのには、原因もあるし、そこから脱却する方法だってあります。

(※以下から、私なりの解釈で、独りになる原因、および脱却する方法を自分のパターンに基づいてお話しします。
すべての人に当てはまるわけではないと思うので、参考程度に見てもらえると嬉しいです。)

私が独りになる原因は、人との距離感を近づけられないからだと思っています。

他人にあまり干渉できない、興味を持てない。他人と深く関わることに恐れがある。
こういったことから周りの人は、私と仲良くなったところで、私が本当に心を開くことがないから心を開きようがないのです。というか、開き損。

人は自分が与えたものに対し、それ相応の対価を欲するものです。
あなたがもし誰かに誕生日プレゼントをあげた時に、感謝の一つもされなければ、ムカつきませんか?
ギブアンドテイクという言葉にも表されるように、
与え、与えられるの相互作用がないと信頼関係というのは築けないものです。

人との距離感を近づけられないという問題を解決するには、以下の二つを実践することが必要だと思っています。

①関わることを恐れない。関わりたいという気持ちを大切に

これには、まず他人に興味を持つことから始めなければなりません。
私の場合、どうして他人に興味を持てないかというと、根本的な問題に戻ってしまいますが、
人と距離感を詰めることに怖さがあるからです。
これは、過去の体験に基づいて、いつの間にかその思考が出来上がってしまっているために感じていることなのです。

私で言えば、学生時代の体験です。
『仲良くなった人でも平気で裏切ることがある、だから人を信じられない。』
この考えを変えるには、体験について振り返ってみて、
「あの時は悲しかったな。関わった相手が悪かったんだな。」などと当時の自分を慰め、過去と現在を切り離す必要があるということ。

たしかに、裏切るような人もいるかもしれない。
だけど、10人中10人がそうであるはずはない。過去に囚われて今を見るメガネが汚れてしまうのは、とてももったいないことです。

今は今として、関わりたいと思う人がいるなら、
後先のことなんて考えずに、気軽に関係を作っていけばいいんです。

結局、関わってみないと、良い人か悪い人かなんて判別できないですからね。

それで結果的に関わらなければ良かったと思うことがあったとしても、それはそれで仕方ないと思うようにしたいですね。

②自分が与える人になる

与えるなんてハードルが高い!と思うかもしれませんが、私が言いたいのはもっと単純なことです。
たとえば、自分から積極的に話しに行ってみるとか、普段から何気ない会話を投げかけてみたり、たまには飲みや遊びに誘ってみたり。

「与えられたいなら、与えろ」ということです。
自分から与えることをしていれば、自然と与えられるようになっていく。
それがギブアンドテイクだと思います。
この時大事なのは、最初のうちは、期待をしないということ。
そんな簡単に与えられると思っちゃあいけません。

期待して、それが返ってこないと、ああやっぱり自分は孤独なんだ…こんなことやっても意味ない…もう人間関係しんどい…って負のループにハマります。

こんなことになるぐらいなら、はじめからやらない方がマシです。

でも、人間関係の苦手意識を克服したいなら、
行動しないと変わらない。
だから、与えることをやってみる。けど、そこに期待はしない。
気長に続けていくことが大事です。


これらのことをふつうにできるようになれば、
一緒にご飯を食べませんか、とお昼休憩に声をかけるのも容易になると思っています。

でも、こんな偉そうに書いた後にすいません。
正直に言います。

私は未だできてません!!!!!!

ただし、言い訳もさせてください、、、
ひとりって楽なんですよね。
何も考えなくていいし、
誰かの話題に合わせなくていいし。

仕事で頭をフル回転させている中、お昼休憩にも人に気を遣うことをしていたら疲れちゃう。
だから、別にひとりでもいい。

…そう思う自分もいつつ、

集団の中で、ひとりになるという状況がトラウマを思い返させて、辛い。
強い孤独を感じてしまうんです。

だから私は、きっと誰かとご飯を食べることをした方がいいんだろうなと思うようになりました。

そのために、さっき書いたようなことを少しずつ実践して、思考を変えて行って、

いつか気軽に人とご飯を食べられるようになればいいなーって思いながら過ごしています!

もしあなたも、私と同じように孤独を感じることがあれば、一緒にがんばってみませんか?


私の目標を宣言します。
自然と人に囲まれる人になる!!

人人うっさいですね。

ちょっと喋りすぎました。笑

ここまで読んでいただいて本当にありがとうございましたペコリ

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