oncemore1985

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最近の記事

ちっぽけなぜつぼう

お金がなくなってから次々に物が壊れ(消耗し)ていく。エコ給湯、エアコン、パソコン、スマホ、車(バッテリー、窓、ブレーキパッド、内装、ミラー)洗面台などなど) でも極めつけはワタシ自身の身体だろうなあ。目とか腎臓とか血管とか。 お金がないのに大量に消費し(させられ)た。布団、カーテン、洗濯機にあれこれ。それはいいのだ、よくなくてもしかたないのだ。問題は俺にもうMPがないことを知っているのに、さらにMPを吐き出させようとする配偶者の存在と、にもかかわらず「いつかは」と彼女の優し

    • 「故郷(ふるさと)」は歌えない

      文部省唱歌「故郷」、高校の部活でも、その後の人生でも何度も歌った。Z世代を含めおそらく生粋の日本人なら誰もが耳にしたこともまた歌詞はうろ覚えでもメロディをハミングできるだろう、もはや国民歌と呼んでもよいような名曲。 しかしながら先日、この曲の、特に歌詞の持つ別の一面に気がついてしまった。 タイミングを逸して、機会に恵まれず、故郷を後にすることができなかった人たち。 一旦は故郷を離れ都会や海外で活躍したけれど、さまざまな事情から戻らざるを得なくなり、志半ば、あるいはさらな

      • 「失う」ということ

        生老病死というけれど ぼくは結局のところ 「失う」ということが怖いのだということに ようやく気がついた。 そしてその度合いは 失ったものと過ごした時間、 それを得るためにかかった年数と労力と費用、 さらには損失した折の逸失利益の大きさに比例とは言わぬまでも連動する。 そしてこのところの人生がやたらとかなしくとことんつらいのは この忌避し恐れている「失う」ということが かなりの頻度でわが身に発生しているからなんだろう。 父親を失い 愛玩動物を失い 身体の一部を失い 健康の

        • ごめんな、モルモル

          8年間、うちにいてくれたモルモットが召されてしまった。ぼくの猛反対を押し切って飼うことを決めた子供たちは既に家を出ていて、それどころか家内も留守がちで、近頃は専らぼくが世話をしていた。それだけにかなり情が移ってしまっていて、なんでここまで仲良くなってからこういうことになるんだろうかと。シコリと間違うくらい骨がでっぱってきたり、ぼくが容易に捕まえられるくらい動きが鈍くなったり、柵から草をひっぱりだすことができなくなってきたりと、予感はあった。それでも餌は大量に食していたし、水も

        ちっぽけなぜつぼう

          ご、ごまんななせんえ~ん?

          高いことは覚悟していた。 が、想像以上の金額だった自動車保険料。 いやちがうな。 高いのではなく高く感じるようになったのが正しい。 つまり 過去の自分が見事で 現在の自分がダメなだけのこと さすがに不安になって 月々の出費を見直すことにした つい最近も通帳別にやったのだが (うちは私しかそういうことをしない) 今回はもう少し念入りに。 すると ? ! !! Why?! なんと2月の電気代が5万7千円! ちなみにうちは近年は3人住まい オール電化であることを考慮に入

          ご、ごまんななせんえ~ん?

          そして法則は発動する

          せっかくの仕事から解放された日なのに 何をしていいかわからない しなきゃいけないことはあるけれど 身体がうまく動かない と 電話があった 車屋さんから 保険の更新だって さすがに高いので見直そうと思ったものの なにせ弱気の折で 「外した途端に」を恐れて結局オプション外せず。 またお金のかかることが増えてしまった。 なんでこう頑張ったときに限って。 そして今回はさらに追い打ちがあったのだった。

          そして法則は発動する

          このタイミングでそれを言うかな?

          努力したって幸せにはなれない 頑張ったからといってうまくいくとはかぎらない そんなことはわかっている いやっになるくらいにわかっている 昨日、なんとかフィニッシュにもちこんだ。 「もう大丈夫ですよね?追加あるなら今言ってください」 「大丈夫です。ほんとにお疲れさまでした」 そしたら未明になって 「●●のところ、追加してください」 おいおい だからちゃんと念を押して聞いたじゃないか 一度クールダウンしてしまったら 再度点火するのは大変なんだよ ってか、ぼくのそういう性

          このタイミングでそれを言うかな?

          がんばった日にかぎって

          まったくもって頑張った日に限って嫌なことが起きる そんなことが続いている ひとはオカルトとバカにするけれど 一度や二度ならともかく 十度も二十度も続けば もはやそれは経験則なのだ。

          がんばった日にかぎって

          漠然とした危機感

          いつか終わるという危機感 それがわりと近くに迫ってきているという実感 無意識のうちに気づかないうちに 遠くへきてしまったという寂寥感 まだあれもやってない まだそこにいけてない まだかれにあえてない まだそれもかたづけられてない やりたくもない仕事なんてしてる場合じゃないのに。 それでも時間があれば惰眠を貪るだけ それでも時間があれば暴飲暴食に耽るだけ まったくぼくってやつは。

          漠然とした危機感

          三泊四日の三日目の夜

          人生が三泊四日の旅行だとすると 56歳の俺はもう三日目の夜なんだよ 四日目の午前ではないだろうけど 三日目の夜なんだよ だから いまから荷物を出そうとは思わないし 散らかってるものは荷造りしたくなるんだよ

          三泊四日の三日目の夜

          悲願の逃避

          「目が覚めたらよい知らせが届いてますように」 ただそれだけを求めて 眠くもないのに無理やり横になり無理やり目をつぶる

          思い出の黄色いビール

          「コクがあるのにキレがある」の頃のアサヒビールは、 ほんとうにうまかった。 もう一度、 山梨か長野の中央線の駅、 韮崎とか小淵沢とか 茅野とか上諏訪とか塩尻とか そんな駅のホームの木製の座り心地の悪いベンチで ホームの屋根から吊るされた時計と ポケットの18きっぷを確認しつつ 暑さにうだされ 週刊プロレスと少年ジャンプを交互に流し読みしながら アサヒの黄色い缶を飲み干したい。

          思い出の黄色いビール

          愚かなる己の選択

          1時間ほど歩いてきた 代わり映えのない景色 誰ともすれ違わぬ道 両脇に散立している空家 そう遠くない将来 ここからさらに衰退が進んだこの地で 今よりずっと 思うように 身体を動かせなくなった私は 暮らすのだ 自らの選択の結果とは言え それはあまりに虚しく切ない。

          愚かなる己の選択

          あったらよかった でも ないね

          もっともその「信じて待つ」にしても、さすがに不遇の時期が数年間続くと「宗教的な力なんて……」と気づかされてしまう。ご先祖、高僧、偉い聖職者、ご高名ななんちゃら、評判の占い師、ありとあらゆる目に見えぬ力を頼り縋り、その結果、「ああ、ないわ」と。気づきたくなかったなあ。 それでもこうして世界が存在し己も活かされている以上、「自然」という有機か無機かすらわからない創造主的な存在はありあったにちがいないわけで。となると特定の宗旨宗派に対する信仰の心を持たぬのに、つい祈ってしまうとい

          あったらよかった でも ないね

          優秀なニッポンの炊飯器の保温機能とそれを台無しにする彼女の仕業

          私の配偶者は、なぜかせっかくの炊飯器の保温機能を無視し、炊きあがったご飯がある程度冷めると、ラップに包んで冷蔵庫に入れてしまう。 そしてそれを私が食することになるのだが、これがまずい。とにかくまずい。温度は変だし、固められたせいで見た目も食感もよくない。ラップのにおいも付着する。なんでせっかくいい感じでばらけているごはんをわざわざまとめて化学的なにおいを付与して台無しにしてしまうのだろうか。 それを何度となく指摘し、依頼し、懇願し、乞い、願い、祝福を求めた来たのだが、四半

          優秀なニッポンの炊飯器の保温機能とそれを台無しにする彼女の仕業

          「ぱなし」の人

          「ぱなし」の人 クッキングヒーターの上 まただ、まただしっぱなし 「何度『ぱなし』はやめようよ」とお願いしたことか もっとも「子どもの教育に云々」などと言ったところで もはや手遅れ 既に長男は社会人に 長女も就活を終えようとしている。 唯一残った次男はしっかり彼女の癖(へき)を受け継ぎ 「生もの濡れものだけはその場で捨てるように」 という私の教えを見事に無視し続け 近い将来のごみ屋敷の設営人の資格を取得済。 こんな話をすると まるで私が神経質の潔癖症の綺麗好きのように思われ

          「ぱなし」の人