「失う」ということ

生老病死というけれど
ぼくは結局のところ
「失う」ということが怖いのだということに
ようやく気がついた。

そしてその度合いは
失ったものと過ごした時間、
それを得るためにかかった年数と労力と費用、
さらには損失した折の逸失利益の大きさに比例とは言わぬまでも連動する。

そしてこのところの人生がやたらとかなしくとことんつらいのは
この忌避し恐れている「失う」ということが
かなりの頻度でわが身に発生しているからなんだろう。

父親を失い
愛玩動物を失い
身体の一部を失い
健康の一部を失い
財産の半分を失い
仕事の大半を失い
フォロワーを失い
顧客を失い
オファーを失い
諸々の愛用品を失い
アドバンテージを失い
チャンスを失い
若さを失い
元気を失い
やる気を失い

そしてさらに人生を困難たらしめているのは
「慣れる」に至るまで「ひたすら待つ」「耐える」ことができず
動いてしまう、いや足掻いてしまう私の性分。

失う→足掻く→ようやく光明が見える
→慣れる→(以前より不便で至らぬまでも)平穏な日常を獲得
直後
失う

というサイクル
この循環、輪廻の道筋から
外れることができず
すっぽり嵌っていて
ゆえに
努力した途端にひどいめにあう
報われる前にやられる
というかなしい流れの繰り返し。

失いたくない。

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