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心が踊ると、細部に手を加えられる

「心が踊る」なんて書くとちょっとこっぱずかしいけれど、悪い言葉ではないから、少し照れながらタイピングしています。

ワクワクしていたいじゃないか

文章を書いたり、音楽を作ったり、そういったいわゆる制作ごとをしていると、いちいち「心が踊る」かどうかを気にしています。

文章のほうが身近な方もいるかも。書いてて「言葉使い」とか「フレーズ」とかは、なんか意識しちゃう。

悪口を書きたくないのは、こういう背景もあるのかも。1いいね付かないボケのほうが、悪口でバズるより、心が踊る。だってきれいやもん

一瞬の音で心がぐわっとなる

音楽を作ってると、大袈裟じゃなく毎フレーズ心が踊るかどうかを指標にしてたり。音楽は0.1秒の音で心が踊ることがあるなぁと思ってます。

自分で作ってたら当たり前に0.1秒にこだわるけれど、リスナーさんのみんながみんな、その0.1秒をこだわって聴くことは、たぶん少ない。あ、もちろんこれは嫌味なことではなく。

でもだからといってその0.1秒をないがしろにしちゃいけないと思ってる。それはなんでかっていうと「あ、なんかいいな」「お、なんかちょっと違う」と思ってもらえたりするから。

「あ、なんか…」って思うのって、わりと説明できなくて、感覚的だったりするのかなぁと思う。というか、説明しなくても「なんかいい!」でいいやんなって思う。

人の心を躍らせたいなら、まずは自分で踊る

だから、作り手としては0.1秒や、その前後の0.1秒にも、自分なりの心踊る音やフレーズ、歌詞を入れていかなきゃって思います。

ただその「好き」とか「良いな」は増やしていく必要がある。これはインプットや考え方の話になるので、まぁ別のときに。

自分で自分の心を躍らせるのは、簡単なようでとても難しい。

でも、例えば結婚式の余興で「たぶんおもしろくないと思います…」と言いながら何かを披露するよりも「めっちゃおもろいです!」と、言葉にはせずとも清々しく披露したほうが、なんというか、見ている側も「あ!楽しんでもいいんだー!」って思えたり。

自分のご機嫌を取るっていうことは、相手のためでもある。というか、相手のために自分は機嫌良くいたい。っていうと、結局他責思考なのかな、ちょっと考えておこう。

神は細部に宿る

これは制作のみならずで、仕事や普段の関わりでも「気遣いができる人だなぁ」っていう方は、なんか細部までこだわってる人が多い印象。とても素敵でビッグラブリスペクト

「神は細部に宿る」という言葉は本当で、気付かれなくてもなんとなく、その細部が人の心をぶっ刺したり、印象に残ったりするもんだ、と思うです。

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