見出し画像

7年越しのモーツァルト

 最近、音楽を聴けなくなってしまった。クラシックを聴かなくなり、耳馴染みの良い洋楽・邦楽を聴いてみても、良くて10分聴き続けられればよい方で、症状は日に日に進行している。情報を受け付けられない状態に至り、早半年。調子の良い週を除いては、丸1週間音楽を全く聴かないこともザラだ。
 すぐに音楽を止めてしまうものの、何とか曲を流すことを試みる日もある。今日のような日である。まずは、軽い気持ちで聴ける邦楽を数曲チョイスして聴いてみた。
 しばらく曲をかけっぱなしにしていると、自動再生にてクラシックが流れてきた。モーツァルトだった。

高校生時代

 私がクラシックを日常的に聴き始めたのは高校生の時。たまたまご縁でアマチュアオケから無料招待チケットが届いた。加えて、部活のOBがそのオケで活動していたことから、いわば「社交」のような形で演奏会に出席した。確か、高校2年生頃の記憶である。
 曲目は、メンデルスゾーン:フィンガルの洞窟、ベートーヴェン:交響曲第3番≪英雄≫、その他である。メンデルスゾーンでは弦5部が凄まじい響きをしており、2階席にいた私を重力で飲み込もうとしているかのようであった。≪英雄≫は、クラシック初心者の私にとっては冗長に感じられた節があるものの、演奏会後、数か月間はふと頭の中で意識してしまっていた。
 当時、吹奏楽部に所属していた私は、部で最もクラシックに詳しい同期にこの出来事を話した。彼はクラシックオタクであったが、オタクというのはいつも決まって沼に引き摺りこもうとする。彼は私の音楽の好みヒアリングし、翌日、結果を元にオススメのCDを持ってきた。テンシュテット, ロンドン・フィル ≪英雄≫のCDであった。私はこの音源に衝撃を受けるように、200回ほど聴きこんだ。これを機に、彼とは部内でクラシック仲間となり、彼からオススメCDを借りては聴き、彼のお宅に泊りがけで"クラシック合宿"をしたりするようになった。(後に、彼と共に音楽同攻会に入会することになる)。

一方、モーツァルトに対しては

 高校時代、クラオタの友人からクラシックのアレコレを教えてもらった。彼も積極的に、作曲家・指揮者・オケ、(録音年の違い一つでも全く異なることやレーベルまで)、「布教」してくれた。彼抜きにして私のクラシック遍歴を語り得ないし、感謝が尽きない。
 こうして、「先生」たる彼から教わってはいたものの、モーツァルトだけは抵抗感があった。実際、一人で演奏会に出かけようと各プロオケの年間プログラムを眺める際も、モーツァルトの演奏会は真っ先に候補から外していた。色々理由はあるが、最も大きなものは、「モーツァルト、作品遺しすぎでしょ。齧りだしたらキリがないわ…」というもの。次に、古典派よりもロマン派や近代音楽の方が性に合っていたことも挙げられるだろう。モーツァルトの敬遠は7年間続いた。

邂逅

 もっとも、大学入学後、音楽同攻会とは別に大学オケに入団したが、そこでモーツァルトに触れる機会はもちろんあった。俗称≪13管≫などである。モーツァルトに限らず、バッハのブランデンブルク協奏曲の練習にも立ち会ったし、古典派への「偏見」が徐々に氷解していく。
 高校時代、延々と、ひたすらにモーツァルトを演奏させられていた同期の存在も大きい。曰く、「モーツァルトは一生分弾いたからお腹一杯」とのこと。帰宅しては夜までモーツァルト、毎日モーツァルト、土日もモーツァルト。彼女がモーツァルトを聴かなくなるのも理解できる。しかしそれは、言い換えると、”モーツァルトの作品に詳しい”ということである。
 テレビ等でモーツァルトの有名作品たちがBGMだったり効果音代わりに使用されている。当然、いくら私でも「モーツァルトの曲が使われている」ことぐらい分かる。一方で、作品名に無知なので、どの曲がいわゆる何なのかが全く分からなかった。彼女は親切に曲名を教えてくれたのである。
 もう一つエピソードを付け加えると、東武東上線池袋駅について。東武東上線池袋駅では発車メロディーに≪ディヴェルティメント≫(K.136)が使用されている。当然曲名を知らなかったが、モーツァルトで発車することについて得体の知れない面白さがあった。実際に自宅で≪ディヴェルティメント≫を流していると、東上線がわんこそばの如く、或いは流しそうめんのように次々と発車しているような気がして笑いそうになってしまう。
 こうして、モーツァルトへの抵抗感はいつしか消失していた。

久しぶりに「お?」となった

 話を戻そう。今日、自動再生で流れてきたのは、モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番(K.488)。ピアノ:アルフレッド・ブレンデル、指揮:ネヴィル・マリナー、アカデミー室内管弦楽団。若者の”スラング”の一つに「アガる」というものがある。これは「感情のエスプレッシーヴォ」であったり「気分の高揚」であったり「感性の研磨」を指し示す言葉である。今日私は久々に音楽を聴いて「アガる」体験をした。同時に「心の洗濯」が行われている気分にさえなった。棘のない曲線美が耳をなぞる。淑やかに跳ねてはイントネーションをつけるピアノが心地良い。
 この曲は晴れた土曜日の昼下がりに、窓を開けて風を感じながら聴くのも良いが、今日のような窓越しにガラスを伝って落ちる雨粒を眺めながら聴くのも良いのだと感じた。もし梅雨の時期であったら、ショパンの雨だれ前奏曲を聴いていただろう。5月を目前に終わりゆく4月の曇り空と雨には、モーツァルトが最適ではないか。ダージリンのセカンドフラッシュを淹れたいところであり、もしコーヒーなら、グアテマラが好みかもしれない。

 皆さんはどんな曲を聴いて過ごしておられますか? 十人十色のご回答があると思われます。今年のGWは残念ながら外出自粛ですが、この機に食わず嫌いしている曲を聴いてみるとか、久方聴いていないCDを取り出してみてはいかがでしょうか。
 2021年GW、「クラシック合宿」を始めましょう。

この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?