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『PEOPLE PLANET COFFEE』のカップを胸を張って持ちたいんだよ私は



0/7 きっと共感してくれる人も多いはず

いつからだろうな、絶対に正しいこと以外は発信してはいけないような気になったのは。年々複雑さを増す世界に住み、何か言うのが怖くなった。
何かを言っても、自分より頭が良かったり知識があったり、より強い問題意識を持っていたりする人が、わたしのことばや思考の誤りを指摘してくるだろうという怯えや諦めがあった。
自分は「無知」であることをわきまえているんだ、「無知の知」の精神だ、なとこじつけて思ったりしていた。ちゃんちゃらおかしい

しかし、これ以上自分が小せぇことによるでっけぇ罪を広げたくなくなった。
ので、誰かがそれは正しくないと批判するかもしれないが、わたし自身の「こうあるべきだ」を発信しないとちょっと苦しい、吐きそう、と思い、ようやく筆をとります。

1/7 好きだったはずのもの

わたしはずっとマクドナルドが好きだった。ダイエット意識がどれほど高まっても、折を見てマクドナルドに行くのが楽しみだった。
そのマクドナルドから遠ざかるようになってしばらく経つ。

スタバには頻繁に行かないが、限定のタンブラーに惹かれて、何度も店先で迷った挙句買ってしまったことは記憶に新しい。ビビッドな水色のリサイクルステンレスにあしらわれた『PEOPLE PLANET COFFEE』のことばが、胸に響いた。
この言葉が、これほど虚しい響きに変わるとは思ってもいなかった。

2/7 楽しかったはずのこと

クリスマスイブは久しぶりに実家に帰り、親きょうだいと過ごした。妹とご馳走を作り、ワインを飲んで、自分達で手をクリームに汚しながら飾ったケーキを食べた。わたしの免許証の写真1枚でゲラゲラ笑った。M-1に湧く世間。

その前の日は、初めて友人の結婚式に参列した。美しい純白のドレスをまとい、人生の伴侶の傍らで光る旧友の笑顔は、友人として見た表情とは少し違って、いつにも増して眩しかった。気のおけない友人たちは皆んな着飾っていて、キラキラしていた。飲み過ぎてへべれけで帰る。

そのさらに前の日は、パートナーと外食をした。もの珍しいフランス料理を堪能した。デザートの前に、コースメニューにはなかったチーズのサービスがあったのが嬉しかった。ドライフルーツと合わせて食べると絶品だった。早めに家に帰って映画を見た。いつまででもこんな時間が続いてほしいと思えた。

毎日、私はたいそう幸せだ。が。

3/7 ずっと夢の中のようで

悪夢を見て目が覚めた朝ほど、現実をみとめて安堵することはないが、近頃は。

私が日々過ごしている幸せとか、喜びとか、あたたかさとか、全部、世界の気まぐれで爆風に吹き飛んでしまう蝋燭の灯火なのかもしれないことに、どうしても気づく。

今感じている幸福は、何かの夢で、今にも、ほんとうは別の『現実』で起こっている、爆弾の、雨の中に、投げ出される、のでは、ないかという、薄ら寒さが、無く、ならない。悪寒

4/7 人間だから、どうしても無理なこと

わたしは人間だから、生きているから、心の痛みにも体の痛みにも弱い。
料理中に手元が焦ってできた切り傷一つのひりつきが、気になって仕方がないほど弱い。
パートナーと本気で喧嘩をすると、臓器がよじ切れるんじゃないかと思うほど苦しい。激情に溺れそうになる。やはり弱い。

だから、連日目に止まるパレスチナの人間たちの、心の痛みと体の痛みの大きさが、あまりにも想像を絶するので、苦しい。

当然、一個人で抱えきれるネガティブな感情の量には限界がある。だから、厳しい現実に向き合いすぎると本当に壊れそうになる。家に一人で、無音で何か作業をしていると、涙が出そうになったり、うっすら吐き気がしたりする。罪の意識もまた感じる。

こんなに悲惨なことがあって、わたし、同じ人間のままでいて大丈夫なのかな〜って。本当にそろそろ亀とかになりたい

5/7 人間だから、すこしでもできること

ここからは本題に入りますが。
このことをちゃんと言葉にしないと、私という凡庸な人間の毎日のささやかな幸せも、人類規模ではちっぽけすぎる毎日の仕事も、大好きな音楽も、かわいがっている植物の世話も、全部がうつろで虚しい、空っぽの行為になりそうで、私の身体に通っている血は何のためにこんなに頑張って流れているんだっけ?って怖くなりそうで、そうなったらもう生きていられない気がしてたまらないので、はっきり書きます。

ジェノサイドをやめてほしい。
パレスチナで老若男女あらゆる人が死んでいく状況に異を唱えたい。

国際政治のことはまあ正直てんでわからん。
特定の宗教を信じる当事者でもない。
イスラエル人の友達もパレスチナ人の友達もいない。
何かに詳しい人はまた見える世界が違うのかもしれない、でももう何も言えないのは無理。

ただ人を殺すのをやめてほしい。この惨状を前に「何かしょうがない理由があるのかもしれない」とかも思いたくない。「仕方がないことだ」って静観されながら爆弾の雨にさらされる当事者になることを、痛みに弱い人間であるわたしは、絶対に受け入れられないからです。人間的な想像力を駆使して現地に思いを馳せたときに受け入れられることが何一つないので、全ての戦争と虐殺に反対したいです。

きれいごととか偽善とか誰かのことを後ろ指差しているうちに、人が死ぬし、その人は将来的に我々かもしれない。
爆弾で吹き飛ぶ子どもはわたしたちの子どもかもしれないし、裸にされて射殺されるのはわたしたちの親や友人かもしれない。
わたしの最愛の人が銃をとって、わたしを守って死んでいくのも絶対に嫌です。逆も嫌です

PEOPLEPLANET、COFFEEだよ、勘弁してくれよスターバックス
地球規模の当事者意識を、人類はいつまでたったら持てるんですかね。本来個人が生きるには地球規模の視野なんか必要なかったかもしれないけど、私たちはもうグローバル社会の一個人であることをやめられない状況にあります。そのオリーブオイルはどこ産ですか?

6/7 実践(アクション) できることだけ 覚書

やっぱりちゃんとやりたいなと思うので、ちゃんと書き残したい。少しでもできることをやりたい、以下

  1. 消費者として買うものを選びます。世界の裏側にはお金の動きがあるので、一消費者としてお金の動きに小石でも投じることはやっぱり意味があると考えます。これは周りにそうと思われなくても実行できるので、堂々と反対しなくても今すぐできます。ボイコット対象の企業は最近よく目にすると思いますが、適宜調べていきたい。

  2. 署名はスマホをいじっていればできるので、あらゆる反対署名をします

  3. 募金も余裕がある限りしたいです。これもお金があるならスマホをいじれば大抵できると思ってます

  4. ハードルが高いかもしれないけど、わたしも時間の許す限りデモや反対運動に参加できたらと思っています、すでに意志のある多くの友人が街に出ていて、頭が上がりません。

ヨーロッパの一部地域では、パレスチナ派であると表明することがかなり危険な状態になっているというのも耳にします。本当にきな臭い時代になっていて怖くてたまらない。

こんな分断がこれ以上大きくなっては、人類全体で取り返しがつかないことになるのではと危惧が大きくなるばかりです。そろそろ本当に人類全体でこの罪を贖えるんですかね?って気持ちです。

表面的には沈黙している多くの人が、積極的に口に出さないだけで色々なことを考えているし、心を痛めていると思います。

少しでも、何かできることをやりましょう、と呼びかけたいです。
人間なんで、心のキャパにもやれることにも限りがありますが、できる限りでいいと思う。

小さくても大きなことができるっていうのは、小2の時にスイミーで学んだよね。やれることをやりましょう。誰かがきっと目になってくれます。

7/7 ほんの少しの安堵

私はこの文章を書き上げたことが、一つ、人間としての罪滅ぼしみたいな気持ちになった。

これからも、何ができるかで、セピア色に変わりつつある私の現実が、ようやく色を帯びていくと信じています。






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